回天搭載母艦として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/01 17:22 UTC 版)
「北上 (軽巡洋艦)」の記事における「回天搭載母艦として」の解説
1944年(昭和19年)8月14日から、北上は佐世保にて回天搭載母艦への改装を受けた。後部にスロープを設置し、中央部上甲板上からスロープ部分まで回天の搭載・移動のための軌条を片舷1条ずつ設け、回天8基を搭載できるようにした。搭載された回天は軌条により順次後部へ移動し、スロープから海中に発進することが可能である。後甲板には回天を揚収するための20tクレーン(空母千歳から移設)が設置された。これらの搭載のために、後部のタービンは取り外され、そのため最大速は36ノットから23ノットに低下した。兵装は全て取り替えられ、12.7cm連装高角砲2基、25mm3連装機銃12基、25mm単装機銃31挺が装備された。また、22号水上電探が設置された。艦尾の回天搭載軌条の間には爆雷投下軌条が2条設置された。改修は1945年(昭和20年)1月20日に完了した。主任務は回天の輸送と襲撃訓練支援(目標艦を務める)であったが、本土決戦時には実際に攻撃を行うことも想定され、襲撃任務を目的とした水上艦部隊である海上挺進部隊に編入された。北上は同戦隊を含め、回天を搭載した艦艇の中では排水量・搭載数共に最大の艦であった。 1945年(昭和20年)3月19日、アメリカ海軍の第58任務部隊の空母7隻が呉港を攻撃した(第1回呉軍港空襲)。240機以上の艦載機が停泊中の日本の艦船を空襲したが、北上は損傷を受けなかった。7月、25mm単装機銃27挺が追加装備された。 7月24日、第38任務部隊の空母6隻・艦載機200機が呉港を空襲した(第2回呉軍港空襲)。これにより北上は大破、航行不能となり32人の乗組員が戦没した。
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