噏滊舘時代・御用邸時代とは? わかりやすく解説

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噏滊舘時代・御用邸時代(1930-1947)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/03 13:57 UTC 版)

熱海市立図書館」の記事における「噏滊舘時代・御用邸時代(1930-1947)」の解説

1885年明治18年)には、熱海市街地の中心部にある大湯旅館傍らに、本町温泉療養所「噏滊舘」(きゅうきかん)が開館しており、1930年昭和5年4月には図書館尋常高等小学校から「噏滊舘」内に移転した。この時期図書館長は熱海町長が兼任していた。この時期にはすでに館外貸出規則設けられており、貸出期間は10日間、貸出冊数洋装書が最大1冊、和装書が最大2冊だった。貸出の際に15歳上の町民は2円、15歳下の町民は1円保証金を必要とした。1935年5月1日付で『図書臺帳一号』が作成されており、逍遥寄贈となった約1,200冊など、計2,668冊が登録されている。1935年昭和10年)には「噏滊舘」が火災によって焼失したため、いったんは熱海町役場楼上移転したが、1935年7月から1936年昭和11年2月末までは休館となった1889年明治22年)には明宮(後の大正天皇)の転地療養地として、岩崎弥太郎所有地に熱海御用邸設置されていた。1936年3月には熱海御用邸(現在は跡地熱海市役所存在)の1階改造し図書館が「噏滊舘」から移転逍遥先生記念町立熱海図書館改称した御用邸1931年昭和6年)に廃止となって熱海町払い下げられており、1階裁判所として、2階図書館として使用された。1935年定められた「逍遙先生記念町立熱海圖書館規定」によると、4月から9月開館時間は8時から16時まで、10月から翌年3月開館時間は9時から16時までだった。閲覧料は徴収しないが、貸出には保証人または保証金を必要とした。逍遥1935年亡くなったが、逍遥双柿舎収集した熱海関連資料248点は、双柿舎管理する早稲田大学から後に図書館寄贈されている。 1937年昭和12年4月には熱海町市制施行し熱海市となり、逍遥先生記念市立熱海図書館改称した太平洋戦争勃発前の1938年昭和13年)から図書館休館となり、市立熱海図書館改称し再開館したのは1944年昭和19年8月のことだった。戦時中には蔵書疎開をおこなっており、伊豆山神社静岡県熱海高等女学校市内興禅寺などに分散させている。

※この「噏滊舘時代・御用邸時代(1930-1947)」の解説は、「熱海市立図書館」の解説の一部です。
「噏滊舘時代・御用邸時代(1930-1947)」を含む「熱海市立図書館」の記事については、「熱海市立図書館」の概要を参照ください。

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