喜多見村の御用屋敷
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「犬小屋 (江戸幕府)」の記事における「喜多見村の御用屋敷」の解説
当初犬小屋は、武蔵国多摩郡世田谷領喜多見村(現・東京都世田谷区)にあった側用人・喜多見重政の陣屋(『新編武蔵風土記稿』第七巻)の敷地内に設けられた。喜多見は犬支配役を担当していたが、元禄2年(1689年)2月に綱吉への背信行為によって喜多見氏が断絶した後、この地は天領となり、犬小屋係下役が配置された(竹内秀雄「喜多見の犬小屋」『世田谷』第二十一号)。元禄6年2月の「武州喜多見村御用屋鋪諸色御入用帳」(『竹橋余筆』別集収録)によれば、当時は喜多見村の幕府の御用屋敷がこの周辺の天領支配の拠点となっており、ここに40匹ほどの犬が収容施設で飼育されていた。この御用屋敷内に、正月から12月までの354日間に1万3878匹の犬が預けられた。病気の犬や子犬のための「介抱所」「看病所」「寝所」のほか、陣屋役所・門番所・台所・舂屋・鶏部屋・鶏遊び所などがあった。犬に餌を与え、急病の犬が出た場合には犬医者を呼び寄せて薬を処方していた。中間16、7人が介護にあたり、養育のためには約5728人の人手を要した。 御用屋敷の入用項目として、「重キ病犬」「病犬」「村預り御犬」を介抱するために必要な食料や薪・蝋燭・筵・菰などが記載され、その総額は銀3貫738匁4分5厘(金換算で62両1分余)となった。それ以外にも、 重病の犬には、生魚は焼くか、味噌汁の中に入れて煮るかして、毎日朝夕ご飯とともに食べさせる 鰹節は村預かりの犬が病気になって食欲がない時に食べさせるものであるので百姓方へ渡しておく 夏のうち子犬に虫がついた場合には油をつけて櫛で取る など、養育方法も具体的に示されていた。手代や下役人が御囲内の巡回や犬医者の呼び寄せなどの業務を担当し、その諸経費は1日1匹当たり米3勺3才と銀2分7厘であった。
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