喜多見村の御用屋敷とは? わかりやすく解説

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喜多見村の御用屋敷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/22 01:26 UTC 版)

犬小屋 (江戸幕府)」の記事における「喜多見村の御用屋敷」の解説

当初犬小屋は、武蔵国多摩郡世田谷喜多見現・東京都世田谷区にあった側用人喜多見重政陣屋(『新編武蔵風土記稿第七巻)の敷地内設けられた。喜多見支配役を担当していたが、元禄2年1689年2月綱吉への背信行為によって喜多見氏断絶した後、この地は天領となり、犬小屋下役配置された(竹内秀雄喜多見犬小屋」『世田谷第二十一号)。元禄6年2月の「武州喜多見御用屋鋪諸色御入用帳」(『竹橋余筆』別集収録によれば当時喜多見幕府御用屋敷この周辺天領支配拠点となっており、ここに40匹ほどの収容施設飼育されていた。この御用屋敷内に、正月から12月までの354日間1万3878匹の預けられた。病気子犬のための「介抱所」「看病所」「寝所」のほか、陣屋役所門番所・台所舂屋部屋遊び所などがあった。に餌を与え急病出た場合には医者呼び寄せて処方していた。中間16、7人が介護にあたり養育のためには約5728人の人手要した御用屋敷入用項目として、「重キ病犬」「病犬」「村預り御」を介抱するために必要な食料蝋燭・筵・などが記載され、その総額は銀3貫738匁4分5厘(金換算62両1分余)となったそれ以外にも、 重病には、生魚は焼くか、味噌汁中に入れて煮るかして、毎日朝夕ご飯とともに食べさせる 鰹節村預かりの病気になって食欲がない時に食べさせるのであるので百姓方へ渡しておく 夏のうち子犬がついた場合には油をつけてで取る など、養育方法具体的に示されていた。手代下役人が御囲内の巡回医者呼び寄せなどの業務担当し、その諸経費1日1匹当たり米3勺3才と銀2分7厘であった

※この「喜多見村の御用屋敷」の解説は、「犬小屋 (江戸幕府)」の解説の一部です。
「喜多見村の御用屋敷」を含む「犬小屋 (江戸幕府)」の記事については、「犬小屋 (江戸幕府)」の概要を参照ください。

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