呉鎮守府籍の艦載機搭載艦艇
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「呉海軍航空隊」の記事における「呉鎮守府籍の艦載機搭載艦艇」の解説
戦艦 太平洋戦争に参加した12隻すべてが艦載機搭載機構を持つ。就役から戦没まで呉に籍を置いた扶桑・伊勢・大和がおり、大正年間に佐世保鎮守府から転入した日向は呉鎮で初めて搭載した。 巡洋艦 球磨型以降の巡洋艦では夕張以外が搭載機構を持つ。就役から戦没まで呉鎮守府籍にあった巡洋艦球磨・大井・鬼怒・神通・最上・三隈・鈴谷・熊野・鹿島・阿賀野の艦載機は呉空から捻出した。呉空開隊より前に横須賀鎮守府に転出した多摩・木曾は横鎮で常設飛行機隊を編成した。昭和6・7年に相次いで横鎮から転入した加古・古鷹は、組立式滑走台を撤去した状態で転入し、呉海軍工廠でカタパルト設置工事を受けている。昭和9年の大規模な転属によって、妙高・那智・阿武隈が佐鎮に、那珂が横鎮に転出しているが、いずれも呉空での搭載は経験済みである。代わりに佐鎮より転入した青葉・衣笠は佐鎮時代に佐空の搭載実績があり、呉空水偵も戦没まで搭載された。 潜水艦 潜水戦隊旗艦用の伊号第九潜水艦が配当されている。水偵搭載が可能な乙型潜水艦は呉鎮と横鎮で折半されたため14隻が在籍したが、全艦に水偵が回ることはなかった。とはいえ、伊九に加えて伊号第二十九潜水艦・伊号第三十潜水艦・伊号第三十一潜水艦・伊号第三十六潜水艦・伊号第三十七潜水艦は水偵偵察の実績がある。 その他 潜水母艦長鯨は就役後に搭載機構が増設された。大鯨は就役時からカタパルト設置済みである。給油艦鳴戸は日華事変の際に二十一空の母艦に指定されたが、搭載機構の増設はなく、物品輸送による支援にとどまる。水上機母艦には千代田・衣笠丸・國川丸がある。大鯨・千代田は航空母艦改造工事中に呉鎮からそれぞれ舞鎮・横鎮に転出しているので、空母時代は呉鎮とは縁がない。
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