名人獲得とその後のタイトル戦とは? わかりやすく解説

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名人獲得とその後のタイトル戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 09:13 UTC 版)

加藤一二三」の記事における「名人獲得とその後のタイトル戦」の解説

1982年度順位戦A級において8勝1敗の成績3度目名人挑戦得た相手第27期1973年度)での初対決以来一度名人位を失冠することがなかった9連覇中の中原であった。この勝負は、4勝3敗・1持将棋・2千日手という実質十番勝負熱戦となり、初挑戦から22年42歳念願名人位を獲得したまた、十段合わせ2度目の2冠制覇でもあった。 同年度の十段戦挑戦者となった中原敗れ、これが中原との最後タイトル戦となったトータルでは中原とは9回のタイトル戦の中で4回獲得防衛含む)しており、結果として全盛期中原に対して大善戦した形となった翌年度名人戦(第41期)の相手は、かつての加藤同じく20歳名人挑戦者となった谷川浩司であった挑戦最年少記録としては加藤の方が数ヶ月早く番勝負開始数日前谷川21歳になった)。立場変えて、かつての大山のように挑戦者最年少記録阻もうとする形となったが、勝負は2勝4敗で敗れ谷川最年少名人記録21歳)を達成したその後は、1984年度第25期王位戦当時若手実力者であった高橋道雄から生涯8つ目となるタイトル奪取するが、翌年高橋奪還された。以降タイトル戦登場することはなく、通算24登場、うち獲得合計8期となった一般棋戦においては全盛期ほどではなかったものの、1990年早指し将棋選手権においては50歳にして3度目優勝を、1993年度NHK杯では54歳7度目の優勝果たした(これは当時大山優勝8回に次ぐ記録)。なお、この優勝により、10歳代から50歳代まで各10年ごと、また同時に1950年代から1990年代の各年代一般棋戦優勝達成したことになったまた、1989年8月21日には大山次いで史上2人目の通算1,000勝(特別将棋栄誉賞)を達成した

※この「名人獲得とその後のタイトル戦」の解説は、「加藤一二三」の解説の一部です。
「名人獲得とその後のタイトル戦」を含む「加藤一二三」の記事については、「加藤一二三」の概要を参照ください。

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