同志社・新島襄との関わりと支援とは? わかりやすく解説

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同志社・新島襄との関わりと支援

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/07 23:48 UTC 版)

原六郎」の記事における「同志社・新島襄との関わりと支援」の解説

米国留学時代新島襄知り合う。のちに、校舎用、同志社大学設立用と多額寄付繰り返し新島支援する原を新島は「貴殿吾人恩人」と感謝している。 正金銀行頭取在任中の明治21年1888年)、奈良吉野山林地主で「大和山林王」・「自由民権パトロン」と呼ばれ同志社新島襄後援者であった土倉庄三郎長女・富子と、京都祇園中村で、新島司式京都府知事北垣国道媒酌により結婚。妻・富子は同志社女学校出身であり、富子の兄弟姉妹たちも同志社学んでいた。 新島襄同志社大学設立運動のため上京した際、井上馨呼びかけ人となり、明治21年1888年7月19日大隈重信邸において、新島支援するための会合が開催され、原も渋沢栄一同じく最高額寄付する東京日日新聞第五一四号・明治21年1888年7月21日記事によれば内訳は、大隈重信:1,000円、井上馨:1,000円、青木周蔵500円渋沢栄一:6,000円、原六郎:6,000円、岩崎弥之助:5,000円、岩崎久弥:3,000円、平沼八太郎:2,500円益田孝:2,000円、大倉喜八郎:2,000円、田中平八::2,000円の計35,000円とある。 また今出川キャンパスにあった「旧同志社大学会館の場所にあった文化学科研究室は、通称「北寮」と言われ明治末年には「原学寮」といわれ、原の寄付よるものであった(同志社人物40 仲村研)」とのこと晩年、原は妻の影響から夫婦キリスト教洗礼受けている。

※この「同志社・新島襄との関わりと支援」の解説は、「原六郎」の解説の一部です。
「同志社・新島襄との関わりと支援」を含む「原六郎」の記事については、「原六郎」の概要を参照ください。

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