同志社への寄付
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 12:37 UTC 版)
同志社に対して、山本はさまざまな寄付を行った。 1917年1月、山本は新島襄の胸像(田中親光作)を寄贈した。この像は第二次世界大戦時に金属回収で供出された。現在の像は石膏で取ってあった型を元に戦後に複製したものである。 同志社大学の設立に際しても、設立委員の一人となり、5000円の寄付をした(村井貞之助の1万円に次いで2位)。 また、新図書館建設費用として8万円を寄付した(当初は6万円を寄付したが、工事費が不足したため更に追加で2万円を寄付した)。1920年に完成した新図書館が同志社啓明館本館(ヴォーリズ設計)である。 このほか、新島襄の嗣子である新島公義を一時期松昌洋行に迎えている。
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