同志・妻・翻訳家ドゥニーズ
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「ピエール・ナヴィル」の記事における「同志・妻・翻訳家ドゥニーズ」の解説
シュルレアリスム運動を通じて、ブルトンの最初の妻シモーヌ(フランス語版)の親戚にあたるドゥニーズ(デニーゼ)・カーン(Denise Kahn)に出会った。彼女はフランスと国境を接するドイツのザールラント州の生まれだが、フランス語を話す家庭に育ったバイリンガルで、シュルレアリスム運動に参加し、『シュルレアリスム革命』誌に翻訳を掲載していた。1926年にナヴィルと結婚。以後、ナヴィルとともにトロツキストとして活躍し、彼が主宰する『階級闘争』、『ラ・ヴェリテ(フランス語版)(真実)』のほか、『社会学認識論(Épistémologie sociologique)』、『社会学年報』(1898年にエミール・デュルケムによって創刊)など多くの政治・経済・学術雑誌に翻訳を寄稿した。また、トロツキーと直接連絡を取りながら彼の著作物、特に『社会主義へか資本主義へか』(ドイツ語訳の校正・フランス語訳)、さらにニコライ・ブハーリンの『金利生活者の政治経済』、エンゲルスの『自然の弁証法』、カール・フォン・クラウゼヴィッツの『戦争論』(ナヴィルによる紹介文)などを翻訳し、とりわけ、ヘルダーリン全書簡集のフランス語訳で知られる。
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