吉田正雄
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吉田 正雄(よしだ まさお、1923年3月25日[1] - 2009年1月16日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)、参議院議員(1期)
来歴
新潟県長岡市出身[1]。1945年、東京物理学校(現在の東京理科大学)理化学科卒業[1]。新潟県労組評議会議長、新潟県労働審議会委員を経て[1]、1977年の参院選で日本社会党から立候補して当選[2]、参議院議員を1期務めた。1990年の総選挙で旧新潟2区から立候補して当選[3]。1993年の総選挙で落選した[3]。翌1994年、和田静夫らと護憲市民全国協議会を結成、事務局長に就任した[1]。1997年春の叙勲で勲三等旭日中綬章受章[4]。
2009年1月16日、肺癌のため死去、85歳。死没日をもって従四位に叙される[5]。
脚注
参考文献
議会 | ||
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先代 宮之原貞光 |
![]() 1981年 - 1982年 |
次代 片岡勝治 |
定数4 |
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定数3 |
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↓、↑:中蒲原郡七谷村における選挙が無効となり、同村のみ再選挙 |
第1回 (定数4) |
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定数1 (第24回以降) |
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↓:途中辞職、失職、在職中死去など、↑:補欠選挙で当選。 |
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吉田 正雄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 06:48 UTC 版)
警視庁公安部公安第二課巡査部長→警部。32歳。府中刑務所暴動時に刑務所内に潜入していた警官。東京でテロが続発する中、丈二を尋問する。
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