吉田明
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/29 02:43 UTC 版)
生年月日 | 1971年8月13日(53歳) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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出身地 | ![]() |
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大学 | 京都産業大学 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ラグビーユニオンでの経歴 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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吉田 明(よしだ あきら、1971年8月13日 - )は、元日本代表ラグビー選手。
プロフィール
- 京都府出身。
- 主なポジションはアウトサイドセンター(CTB)。
- 日本代表キャップは17。
来歴
啓光学園中学校・高等学校(現 常翔啓光学園中学校・高等学校)の出身で、同高校時代にはラグビー部の主将を務め、第69回全国高等学校ラグビーフットボール大会では準優勝を経験。
その後、京都産業大学に進み、同校では1年生よりレギュラー。また1993年度の同校主将を務めた。
1994年、神戸製鋼に加入。1年目よりCTBでレギュラー。同チームの全国社会人大会及び日本選手権のそれぞれ7連覇達成に貢献。また、1999年度及び2000年度の両大会優勝にも貢献した。
また、1995年のルーマニア代表戦が日本代表としての初キャップ試合[1]となり、同年開催のラグビーワールドカップでは、予選プール全3試合出場。また1999年のラグビーワールドカップにも選出された。
2006年2月に現役を引退[2]。同時に神戸製鋼も退社し、母校の京都産業大学ラグビー部のヘッドコーチに就任[3]。2009年には、同校監督に就任したが、2011年2月、監督を退任した[4]。
2013年4月より、日本大学ラグビー部コーチに就任[5]。2015年シーズンをもって日本大学ラグビー部コーチを退職。
2016年4月よりヤクルトレビンズラグビー部コーチに就任。その後、高校、大学、社会人チームを指導。
2020年4月、日本文理大学経営経済学部准教授就任。2019年9月、日本文理大学ラグビー部コーチ。
2024年1月、大阪経済法科大学ラグビー部監督に就任。
関連項目
参考文献
- ^ ザ・ワールドラグビー(新潮社)の49ページ
- ^ 吉田ら7選手引退 ラグビー神戸製鋼 - 神戸新聞2006年2月28日付
- ^ 灘浜通信vol.29 関西大学ラグビーも面白い! - 神戸製鋼コベルコスティーラーズオフィシャルサイト 2012年6月7日閲覧
- ^ 京産大ラグビー部の吉田監督が退任 - 47ニュース 2011年2月24日付
- ^ 日大、新コーチに前京産大監督・吉田明氏 - サンスポ2013年1月6日付
外部リンク
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吉田明(よしだあきら)
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「密・リターンズ!」の記事における「吉田明(よしだあきら)」の解説
1月26日生まれのみずがめ座、B型。身長168cm。転校してきた源五郎のクラスメート。のんびり屋で、妹想いでやさしい。
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