増保輝則とは? わかりやすく解説

増保輝則

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/29 02:38 UTC 版)

増保 輝則
生年月日 (1972-01-26) 1972年1月26日(53歳)
出身地 東京都
学校 城北高校
大学 早稲田大学
ラグビーユニオンでの経歴
ポジション ウィング
アマチュア経歴
チーム 出場 (得点)
城北高校
早稲田大学
()
シニア経歴
チーム 出場 (得点)
1994-2004 神戸製鋼 ()
代表
チーム 出場 (得点)
1991-2001  日本 47 (147)
更新日:  2021年8月10日
コーチ歴
チーム
神戸製鋼
ラガール7

増保 輝則(ますほ てるのり、1972年1月26日 - )は、日本の元ラグビー選手。元神戸製鋼コベルコスティーラーズ監督。現在ジャパンラグビーリーグワンコベルコ神戸スティーラーズのアドバイザーを務めている。

プロフィール

経歴

淑徳小学校→城北中学・高校早稲田大学

城北中学でラグビーを始める。城北高校3年時に高校日本代表の主将としてスコットランド遠征に参加。

早稲田大学に進学後、戦後最年少(当時)となる19歳3か月で日本代表に選出され、WTB(ウイング)として活躍。在学中に大学選手権準優勝2回。

1994年神戸製鋼に入社し、1年目から中心選手として活躍。

1995年第3回W杯では、ニュージーランド戦で大敗した戦犯の1人としてマスコミのバッシングを受けたが、その後大学時代から太り気味だった体を見事にシェイプアップし、本来の鋭いキレを取り戻し日本代表へ復帰。1998年の第4回W杯アジア予選では本戦出場の原動力となった。

1999年、神戸製鋼の主将に就任。1999年度~2000年度に全国社会人大会日本選手権の2冠連覇を成し遂げた。また日本代表としても第2~4回ラグビーワールドカップに出場した。

2004年4月、現役を引退し、神戸製鋼コベルコスティーラーズの監督に就任。

2012年早稲田大学ラグビー部アドバイザー(2015年退任)及び女子ラグビー7人制チーム【ラガール7】の総監督を務める(2017年2月末で退任)。

2013年RWC2019アンバサダー「TEAM 2019」に就任し、W杯成功のための広報活動及び普及活動を全国で行っている。

関連項目

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