小藪修とは? わかりやすく解説

小藪修

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/13 01:11 UTC 版)

小藪 修(こやぶ おさむ、1947年10月24日 - )は、大阪府立淀川工業高等学校を経て同志社大学、新日鐵釜石で活躍した元ラグビー選手・指導者である。

プロフィール

履歴

同志社大学ではチームの司令塔として関西リーグ連覇の原動力となる。

卒業後の1970年三菱自動車京都に就職が決まりかけていたが、一転新日鐵に入社し、釜石ラグビー部に所属。1年目から社会人優勝に貢献。

1974年からは主将を務める。同年、第4回アジアラグビーフットボール大会決勝戦のスリランカ戦に出場し、キャップ1を獲得。

1976年、監督就任。松尾雄治らが入部し、初の日本選手権制覇に導く。

1978年からの日本選手権V7のうち、最初のV3を指揮し勇退。

1992年からジャパンの監督を務め、1992年アジア大会で優勝、1994年にもアジア大会で優勝し1995年W杯出場権を獲得。「タテ・タテ・ヨコ」をスローガンにフォワードがゲインした後でバックスがトライを決める形を目指したが、本戦ではニュージーランド戦で大敗し(ブルームフォンテーンの悪夢)、その責任を取り退任した。

現在は新日鐵の関連会社に勤務している。





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