古民家と屋敷林
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/27 15:36 UTC 版)
「柳窪 (東久留米市)」の記事における「古民家と屋敷林」の解説
柳窪には屋敷林に囲まれた江戸時代末期から明治初期の大型民家5軒と明治中期から昭和初期の中規模の伝統的な民家8軒が残っている。また、養蚕による生糸の輸出で栄えた時代の建物もいくつか現存し、実用されている。 旧集落内には土蔵が21棟建っている。白壁の土蔵が20棟、外壁に大谷石が積まれている土蔵が1棟で、農村風景の歴史的な環境が維持されている中で、この地区の景観の重要な要素となっている。 江戸時代、大都市となった江戸においては大火が頻繁に起こった。そのため享保期(1716年 - 1735年)以降、幕府は防火対策のひとつとして土蔵等の建築を奨励した。以来、土蔵の建築は農村部にも普及し、柳窪においても幕末から明治・大正期にかけて築かれた土蔵は多い。2008年(平成20年)の日本女子大学住居学科による調査対象となった土蔵群は幕末期3、明治初期3、明治30年代3、大正期1、年代不詳1となっている。 この地域には鬱蒼としたケヤキ、シラカシからなる屋敷林が残っている。そのなかでひときわケヤキの大木が目立つ柳窪四丁目の村野家住宅は、唯一東久留米市内に残る江戸時代の茅葺民家である。同住宅は、江戸から大正期にかけて建てられた貴重な建物として、2011年(平成23年)に主屋等7件が国の登録有形文化財に登録された。同年それらの建物を総称して「顧想園」と命名し、春と秋に一般公募の見学会(都文化財ウイークへの参加など)が実施されている。園内にはさまざまな植生が見られ、なかでも武蔵野では急激に数を減らしてなかなか見られなくなったクマガイソウ、キンランなどが保護されて、毎年春に花を咲かせる。
※この「古民家と屋敷林」の解説は、「柳窪 (東久留米市)」の解説の一部です。
「古民家と屋敷林」を含む「柳窪 (東久留米市)」の記事については、「柳窪 (東久留米市)」の概要を参照ください。
- 古民家と屋敷林のページへのリンク