古殿地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/08 08:47 UTC 版)
遷宮される社殿は、同じ広さの敷地が左右に並び、二つの敷地に20年間隔で交互に社殿を建て、御神体が行き来する。二つの敷地の内、神が鎮座していない、空の状態の社殿の敷地は、「古殿地(こでんち)」、あるいは「御敷地(みしきち)」と呼ばれる。 古来、古殿は神が隣の新社殿に遷御してからも、社殿自体は引き続き参拝者の崇敬、拝礼を受け続けており、神宮側も、特に古殿地を守る神職を置いていた。そして、次の遷宮に際して新しい社殿を建てる直前に、壊却されていた。この時点では、旧社殿はその聖性ゆえに、原則として次期遷宮まで、建築から数えて約40年間は存置することとされ、社殿に損傷や剥落が見られても早期の壊却は行われず、心御柱にまで倒壊の恐れが生じて初めて、壊却が認められた。 そのため、敷地には原則、現在用いられている社殿とその前の古殿が並んで立っていた。この間、現行の社殿が不慮の火災や破損などによって臨時遷宮を行うことになった時には、社殿再築までの間の御神体の安置場所として仮殿を設ける必要があるが、その時に古殿地の旧社殿を仮殿とした例がある。 明治期に入ると、この慣例が大転換し、旧社殿は遷御後、速やかに壊却されるようになった。明治5年(1872年)、神宮司庁内の検討において、従前の古殿の存知を「非情の備え」のためのものであったと解釈、却って失火の時に延焼の恐れがある、などの理由により、神祇省に申し立てを行い、結果、3年前の第55回遷宮で残されていた旧社殿が壊却された。一説には、神宮司庁が神宮大麻の頒布を始めるにあたり、撤下古材をもってその材料とした、とされる。 これ以降、旧社殿は遷宮からほどなくして壊却されるようになり、両敷地には原則、現行の社殿と、次期社殿の建築を待つ更地が並び立つようになった。
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