古墳時代中後期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/12 06:57 UTC 版)
飛鳥時代の始まりである推古天皇即位が593年なので7世代前の応神天皇即位は古墳時代中ごろの4世紀後半になる。応神天皇陵、仁徳天皇陵に治定されている誉田御廟山古墳、大仙陵古墳は考古学的にも5世紀前半の築造とされている。また日本書紀で応神天皇や仁徳天皇の治世に在位したと記される百済王は朝鮮半島の正史である三国史記において4世紀後半から5世紀初めの王である。年代は一致している。 なお日本書紀の年代と三国史記の年代は応仁天皇期で120年ずれている。日本書紀の年代を機械的に当てはめれば応神天皇即位は3世紀後半、その母親の神功皇后は3世紀中ごろの人物となる。3世紀中ごろは魏志倭人伝に記される邪馬台国の卑弥呼や台与がいた時代であり日本書紀の神功皇后摂政39年、40年、43年、66年に魏志倭人伝からの引用文がある。ただし書紀に邪馬台国や卑弥呼・台与の名は無く「倭の女王」とだけ書かれている。神功皇后と倭の女王を同じとする記述もない。
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