古代ハワイ人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 06:07 UTC 版)
古代ハワイ(英語版)の人々は、この島を Mokuʻumeʻume (「魅力の島」もしくは「争いの島」の意)と呼ばれており、マカヒキ祭の間に行われた子供に恵まれない夫婦のために行われた儀式 (ʻume) に由来する。ハワイ語で moku とは、「切断」や「2つに分ける」という意味があり、同時に「島嶼」の意もあった。単語 ʻume は、「引く」もしくは「惹きつける」、「誘う」という意味があり、一般大衆のための儀式を示していた。ハワイ出身の歴史家ハーブ・カワイヌイ・ケイン(英語版)は、ʻume について「求婚ゲーム」と考えていた。(処女でも未婚でもない)ʻume へ参加するために選ばれた者は大きな篝火を囲んで歌い、その間に、部族の長はマイレ(英語版)の枝を手に、詠唱しながら一人ひとり参加していた男女に触れていった。長に触れられた男女は、島内で人目につかない場所を見つけて愛を交わす。夫婦が褥を共にすることはなかったが、嫉妬を露わにすることは無作法と見なされた。この儀式で誕生した子供は、儀式の相手ではなく夫の実子として扱われている。 1830年に、この儀式はキリスト教の宣教師によって禁止された。 この地域の先住ハワイ人は Ke Awalau o Puʻuloa と称していた。彼らは島でスイカを栽培し、屋根を葺くために、ピリ(英語版)草を収穫していた。ハワイの伝説では、女神 Kaʻahupahau が島である少女を殺害し、それを悔いた女神はそれ以上の殺人を禁止した。 Kaʻahupahau の兄弟 Kahiʻuka (歴史家の中には彼女の息子 Ku-maninini とする者もいる)は、フォード島の海面下にあった水中洞窟に居を構え、エワ・ビーチ(英語版)の人々に食物を与えていた巨大な水トカゲの Kanekuaʻana を飼っていたと言われている。
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