逆転クオリア
(反転スペクトル から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/08 06:08 UTC 版)
逆転クオリア(ぎゃくてんクオリア、英:Inverted qualia)は心の哲学で議論される思考実験の一つ。同じ物理的刺激に対し、異なる質的経験(クオリア)が体験されている可能性を考える思考実験である。逆転スペクトル(ぎゃくてんスペクトル、英:Inverted spectrum)とも呼ばれる。色覚の赤と緑が入れ替わっている例が代表的例として論じられるが、他の感覚様相(聴覚や痛覚)の場合でも論じられる。
- ^ ジョン・ロック『人間知性論』 第2巻32章15 「たとえある人間の青の観念が他の人間の観念と違っても〔偽ではない〕」より(大槻春彦[訳] 岩波文庫 4分冊の第3冊目 pp. 56-58 から引用 ISBN 4-00-340073-9) また、かりにもし私たちの器官の構成の違いで同じ対象がいろいろな人の心に違う観念を同時に産むように定められたとしても、たとえばすみれが一人の人間の心にその目によって産んだ観念は、せんじゅぎくが他の人間の心に産んだのと同じだったり、その逆だったりだとしても、私たちの単純観念に虚偽のそしりはあびせられないだろう。なぜなら、一人の人間の心が他の人間の身体の中へ入って、そうした器官がどんな現象態を産むか、これは知覚できないから、この〔人々が違う観念を産む〕点を知ることはけっしてできず、したがって、これによって観念も名まえも混同されることはまったくなかったろうし、どちらにもなんの虚偽もなかっただろう。というのは、およそすみれの組織をもつ事物はすべてその一人の人間の青と呼ぶ観念を恒常的に産むし、せんじゅぎくの組織をもつ事物はすべてその一人の人間の黄と呼ぶ観念を恒常的に産むから、それら〔すみれとせんじゅぎく〕の現象態がその人の心でどうであっても〔たとえ他の人たちと違っても、〕その人はそれらの現象態によって〔すみれとせんじゅぎくという〕事物を自分に役だつように規則正しく区別でき、青と黄という名まえで表示される区別を理解できたり意味表示できたりするのであって、その点は、その人の心にあるそれら二つの花から受けた現象態ないし観念が他の人たちの心の観念と性格に同じだとしたときと、かわりなかったろう。〔もっとも、〕そうはいうものの、私は、ある対象が違う人々の心に産む可感的観念はごく近くて識別できないほど似よっているのがもっとも普通だと、たいへん考えがちである。この説には理由をたくさん呈示できようと私は思う。が、これは私の当面の務めの外にあるから、そうした理由で読者を煩わさないだろう。ただ読者の留意を促すが、かりにもし〔同じ対象の観念が違う人で違うという〕反対の想定を証明できたとしても、私たちの真知の進歩にも人生の便益にもほとんど役だたず、したがって、これを検討する労を取るには及ばないのである。 — ジョン・ロック 『人間知性論』(1690年) 第2巻32章15 「たとえある人間の青の観念が他の人間の観念と違っても〔偽ではない〕」
- ^ Shoemaker, S., 1982, “The Inverted Spectrum”, Journal of Philosophy, 79: 357-81
- ^ Block, N., 1990, “Inverted Earth”, Philosophical Perspectives, 4: 53-79.
- ^ Byrne, Alex, "Inverted Qualia", The Stanford Encyclopedia of Philosophy (Spring 2010 Edition), Edward N. Zalta (ed.), URL = <http://plato.stanford.edu/archives/spr2010/entries/qualia-inverted/>.
- 1 逆転クオリアとは
- 2 逆転クオリアの概要
- 3 外部リンク
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