反ディズレーリ派としてとは? わかりやすく解説

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反ディズレーリ派として

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 05:26 UTC 版)

ロバート・ガスコイン=セシル (第3代ソールズベリー侯)」の記事における「反ディズレーリ派として」の解説

辞職後も選挙法改正阻止するために奔走しディズレーリとの対立深めていった。 ただディズレーリにとっては幸いなことにクランボーン子爵は反執行部勢力をまとめられるような人物ではなかった。1867年4月自由党党首ウィリアム・グラッドストン地方税納税額5ポンド以上という有権者資格条件加えた修正案提出すると、クランボーン子爵は党に造反してこれに賛成票を投じたが、この時彼に追従して造反した保守党議員わずかに7人だった事実にもそれが表れている。 結局ディズレーリ選挙法改正法案は庶民院通過ダービー伯爵尽力貴族院通過し8月女王裁可経て成立した。この成功ディズレーリ党内における立場急上昇しダービー伯爵後継者たる地位固めたクランボーン子爵はその状況を「党全体ディズレーリ愚かな議会操縦術に惑わされている」と批判した1868年2月ダービー伯爵病気のために退任しディズレーリ首相職保守党党首職を引き継いだクランボーン子爵ディズレーリ後継者になることに反対したが、保守党議員大半ディズレーリ以外の者が党首務めるのは不可能という見解有していた。 首相就任後ディズレーリ議会敗北してヴィクトリア女王寵愛を盾に総辞職せず、解散総選挙引き延ばしにした。クランボーン子爵友人あての手紙の中で「女王陛下は『例のユダヤ人の手先になってしまわれた。彼は女王陛下要請によって政権に留まれる準備をした後に見せかけの辞表提出して事態収拾するつもりでいる。玉座君臨しているのは女性であり、ユダヤ人野心家は彼女を幻惑する術を心得ている」と危機感露わにしている。 同年4月に父である第2代ソールズベリー侯爵死去し第3ソールズベリー侯爵位を継承庶民院から貴族院移籍した11月総選挙が行われたが、保守党敗北終わりディズレーリ内閣退陣してウィリアム・グラッドストン自由党政権誕生した。この総選挙直後マームズベリー伯爵保守党貴族院院内総務英語版)を辞職しその後任にソールズベリー侯爵推す声が一部上がったが、ディズレーリはこれを無視してケアンズ伯爵後任にした。 1869年にはオックスフォード大学総長(Chancellors of the University of Oxford)に選出されている。 [先頭へ戻る]

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