原方刺し子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/24 03:18 UTC 版)
原方刺し子(はらかたさしこ)は、山形県米沢藩の下級武士「原方衆(はらかたしゅう)」の婦女のあいだから、生活苦の中でも士族の誇りを忘れないために生まれ、昭和初期まで受け継がれた裁縫技術による雑巾である[1]。「花雑巾(はなぞうきん)[2]」、「上杉花ぞうきん[3]」ともいい、その技術そのものをさして「米沢刺し子[4]」ともいう。
- ^ a b c d e f g h i 総合女性史研究会『日本女性史論集7 文化と女性』吉川弘文館、1998年、222-223頁。
- ^ a b c “原方刺し子 技を映像に”. 山形新聞. (2017年9月25日)
- ^ a b c d e f g h i 組本社『全国の伝承 江戸時代 人づくり風土記6ふるさとの人と智恵 山形』農村漁村文化協会、1991年、225頁。
- ^ a b c “やまがた伝統工芸品51”. 山形新聞. (2017年3月27日)
- ^ a b c d e f g h 徳永幾久『刺し子の研究』衣生活研究会、1989年、92頁。
- ^ a b c d e f g 「明和6年原方屋敷絵図について」の解説、レファレンス協同データベース
- ^ a b c 徳永幾久『刺し子の研究』衣生活研究会、1989年、96頁。
- ^ a b c d e f g h 組本社『全国の伝承 江戸時代 人づくり風土記6ふるさとの人と智恵 山形』農村漁村文化協会、1991年、226頁。
- ^ a b c d e f g h 徳永幾久『刺し子の研究』衣生活研究会、1989年、93頁。
- ^ a b c d e f 組本社『全国の伝承 江戸時代 人づくり風土記6ふるさとの人と智恵 山形』農村漁村文化協会、1991年、227頁。
- ^ a b c d e 徳永幾久『刺し子の研究』衣生活研究会、1989年、97頁。
- ^ a b c 組本社『全国の伝承 江戸時代 人づくり風土記6ふるさとの人と智恵 山形』農村漁村文化協会、1991年、228頁。
- ^ a b c “原方刺し子は米沢の伝統と文化の象徴!”. NEFT!. 2019年10月16日閲覧。
- ^ a b “よねざわ伝承館”. 山形新聞. (2018年4月19日) 2019年10月14日閲覧。
- ^ “原方刺し子映像で後世に”. 山形新聞. (2018年5月5日) 2019年10月14日閲覧。
- 1 原方刺し子とは
- 2 原方刺し子の概要
- 3 原方衆のくらし
- 4 伝承活動
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