南満州鉄道運輸部運輸課電気係→電気作業所時代とは? わかりやすく解説

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南満州鉄道運輸部運輸課電気係→電気作業所時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/05 20:03 UTC 版)

大連都市交通」の記事における「南満州鉄道運輸部運輸課電気係→電気作業所時代」の解説

当社は元は独立した企業ではなく南満州鉄道一部であった南満州鉄道鉄道事業だけなく、1906年8月1日付の秘第14号政府命令に基づき関東州および満州鉄道附属地において多種多様な事業を行うとともに都市計画担当しインフラストラクチャーの整備進めていた。 そのうち電力事業担当していた「運輸部運輸電気係」が当社起源である。これは日露戦争終戦後旅順海軍工作部によって管掌され、軍用役所用に使用されていた発電所移管を受けるにあたり1907年4月受け皿として作られ部署であった当初は名称が示すように鉄道部門傘下部署であったが、大連市にある浜町発電所拡張工事を行うに当たり、1908年12月からは「電気作業所」の名で電力部門として独立した電気作業所大連市中心部北東に当たる長門町大連駅第二貨物ホーム前に本部持ち奉天現在の瀋陽)・長春安東現在の丹東)に支社連山関に出張所持っていた。本部には浜町発電所天ノ川発電所の2発電所支社出張所には各1ヶ所の発電所設けられ独占的にこれらの街における発電配電事業行っていた。 さらに浜町発電所拡張計画一緒に大連市内への路面電車敷設計画持ち上がり副業として軌道事業も行うことになった。これに際して電気作業所では「大連電鉄営業所」を設置し、その営業建設維持に当たらせた。これらの軌道線は、1909年9月25日大桟橋(のちの大連埠頭)-山県通-監部通-日本橋-常盤橋-電気遊園前間開業させたのを初めとして、その後中心部全域および郊外へと路線延ばし続け大連市内に縦横無尽路線網を築くことになった。なお路線の開通一緒にそれまで電気通っていなかった地域への配電事業開始するなど、本業からめた路線展開行われた。 また市街地の西にあった丘・伏見台開発して大連電気遊園地」という遊園地開業させてもいる。自社電気ふんだんに用いたメリーゴーラウンドなどの遊具イルミネーション設置し市民娯楽の場として親しまれた。

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