協賛事業
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本土復帰直前の1970年から1971年にかけて、琉球放送のテレビ番組『オキコワンワンチャンネル』『100万人の大合戦』(公開収録による児童歌合戦)へ沖縄明治乳業とともに協賛。出場者には、両社の製品(ラーメンやチョコレートなど)が進呈されていた。ちなみに、いずれの番組でも、歌手デビュー前の南沙織が本名の「内間明美」名義でアシスタントを務めている。
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協賛事業
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西日本宝くじにおいて記念宝くじを発行。1988年3月10日の第1050回250万通、1989年3月2日の第1087回260万通、1989年5月11日の第1094回300万通を発行し、西島伊三雄がデザインを担当しマスコットキャラクターもあしらわれた。また会期中にはインスタント式のイベント宝くじ「よかトピアラッキー3」を当初200万枚発行し7月2日に完売、その後7月5日に追加分176万枚を発行し8月22日に完売した。 公式記念メダルが1989年3月に発売。西日本新聞社に販売を委託し、社内や福岡市内のデパートで発売・受注生産を実施。プラチナメダル(15万円)、大型金メダル(12万円)、小型金メダル(36,000円)、銀メダル9,000円、銅メダル5,000円の5種が発行され、河原美比古がデザインを担当。 郵政省より記念切手が1989年3月16日に発行された。切手図案は久野実が担当し、アジア太平洋を中心とした地球と会場全景が描かれている。額面は当時の定形郵便基本料金料金である60円だったが、直後の4月1日に消費税が導入され郵便料金が62円になったため、同一の意匠で額面を62円に変更したものが同年4月18日に発行されている。発行枚数であるが、前者は2700万枚と当時の記念切手の発行枚数とほぼ同じであったが、後者は249.8万枚であり、発行枚数が9分の1であり、62円の方が希少である。 日本たばこ産業より、記念観光たばことしてマイルドセブン50万箱を1989年3月1日から9月3日まで発売。渡辺裕彦がデザインを担当し表にアジア太平洋ゾーンのパース画と裏に博覧会マークを描いた。
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