匪賊に関する研究
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/08 16:56 UTC 版)
東亜同文書院を卒業して満州の建国大学教授となった中山優(1894 - 1973)は、「匪賊」の種類として、土賊・冦賊の類、兵匪、共匪などを挙げている。満州の馬賊もその一種であると言う。明治時代に中国大陸に進出した大日本帝国にとって、これら武装集団との接触は不可避なものとなった。1930年代以降、満州事変・満州国建国・日中戦争を経て中国の占領・支配政策を進める中では、鎮圧・討伐の対象となった。日本による支配に抵抗する抗日組織も、日本側から「匪賊」のカテゴリーに含まれることになった。「匪賊」の記録・研究が行われたのはこうした状況・関心によるものである。 イギリスの社会史家エリック・ホブズボームは1959年の著作『反乱の原初形態』から匪賊研究を展開し、地球上のすべての地域に見いだされる匪賊現象に学問的な光を当て、複数の分野の研究者から注目を集めた。ホブズボームは、抑圧的で富の分配が不均衡な地域において、世人(主に農民階級を指す)から単なる犯罪者とは見なされなず、世人の精神を体現する賊を「社会派匪賊」と名付けた。 ホブズボームは社会派匪賊は個としては特異な状況から発生した生き延びるために自助努力する人々の営みであり、政治的な革命分子にはなり得ないと論じたが、アントン・ブロク(英語版)は、匪賊に加わる人々は本質的に野心的かつ保守的であり、既存の政治勢力と結びつくと農民階級を抑圧する側に回る。匪賊の頭目たちにとって匪賊活動は階級上昇の抜け道だったと論じた。
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