北谷・恵祖事件とは? わかりやすく解説

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北谷・恵祖事件

読み方:チャタンエソジケン(chatan’esojiken)

近世琉球王府改革契機となった事件


北谷恵祖事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/04/13 17:20 UTC 版)

北谷恵祖事件(ちゃたんえそじけん)とは、1667年琉球王国の不祥事に薩摩藩が介入、処分した事件である。

1663年よりの冊封を受けた尚質王は、謝恩使として羽地朝秀の叔父で三司官の北谷親方朝暢(唐名は向国用)を派遣した。翌1664年、帰国の途に着いた北谷は福州に逗留する。同年、康熙帝即位の慶賀使として恵祖親方重孝(唐名は英常春)が派遣されたが、船は閩江河口付近で遭難した上に海賊に襲撃された。恵祖達は福州に逃れたが、献上品の金壺が盗まれ、随員の殺害事件が起こった。1665年、謝恩、慶賀使一同は帰国した。

ここで報告を受けた薩摩藩は、事態の解明に乗り出した。1666年6月と10月に関係者を薩摩に上国させ取り調べたところ、真相が明らかになった。

  • 海賊とは、中国人に偽装した琉球人であった。
  • 手引きをして進貢品を盗んだ船員上間らが、それを咎めた随員の喜屋武筑登之元持を殺し、その従者も殺した。
  • 北谷親方は慶賀使に便乗して、家来を迎えによこさせた。
  • 金壷を盗んだのは北谷の家来、与那城仁屋達であり、それを更に仲村渠仁屋が盗んだ。
  • 同じく北谷家来の宮里子は仲村渠と手を組み、医師の休斎も引き入れて与那城を毒殺、金壷は現地で売り払った。
  • それを知った別の船員が、宮里を脅して口止め料をせしめた。
  • 家来の関与を知った北谷は、伊平屋島で関係者を下船させて揉み消しを図った。

1667年3月、薩摩藩は処分内容を通告する。北谷、恵祖は監督責任を問われ、北谷が家来を乗船させたのは勝手な振る舞いであり、恵祖は海賊から逃亡するとは臆病千万と、斬首を通告。更に両人の子弟8人を流刑。殺人、窃盗の関係者12人も罪状に応じて処刑、処分するというものであった。

薩摩藩は琉球への判決文に「異議あれば遠慮なく申し立てよ」と書き添えたが、王府は一切逆らうことなく5月21日に北谷、恵祖を処刑した。

参考文献

沖縄大百科事典、沖縄タイムス、1983年


北谷・恵祖事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/06 01:32 UTC 版)

羽地朝秀」の記事における「北谷・恵祖事件」の解説

1660年代なかばに起こった羽地摂政就任する契機となった事件進貢の際に金品略奪起こり、これに三司官王府首脳部も関わっていたことから、薩摩藩により首脳部引責辞任追い込まれたことで羽地摂政就任することとなった1609年薩摩島津氏侵攻以降王府中枢では、薩摩支配受け容れる王に対し薩摩の命に従わない役人たちによるサボタージュ相次いでいた。侵攻時の国王である尚寧次代に当たる尚豊政権下では、島津氏支配冊封朝貢関係を両立整合させ、島津氏妥協しつつ王権維持しようとする尚豊対し島津氏の命により中国購入する物品粗悪品を選ぶなどして島津氏対抗しようとする勢力存在したのであるそうした政治情勢のなか、1663年清朝による初の冊封実現し、その謝恩使として三司官北谷ちゃたん親方朝暢が派遣された。その翌年1664年には、聖祖康熙帝即位を祝う慶賀使として恵祖親方重孝が派遣された。恵祖等が福州入港する直前暴風遭い、それに乗じて海賊襲撃された。この混乱に際して皇帝への慶賀品が奪われただけでなく毒殺事件まで起こった。そしてさらに問題となったのは、海賊等ふくめ事件全て乗組員福州滞在している琉球人の自作自演であることが判明したことである。薩摩関係者を藩に呼び出し厳しく尋問したその結果監督責任問われ北谷と恵祖は、二人とも斬首二人家族連座となり宮古八重山流罪となった。 この事件の顛末から、羽地摂政就任薩摩藩による琉球新たな支配編成要求担っていたものであるということがわかる。なお琉球は、この事件同時期に薩摩との緊張関係緩和目指し毎年中国行き貿易することが可能となる接貢船制度化進めることで朝貢貿易再建拡大目論んでいた。しかし鄭氏からの攻撃やそれに続く中国大陸における三藩の乱勃発により、海外貿易政策介した薩摩との関係改善打開策を見いだせないでいた。

※この「北谷・恵祖事件」の解説は、「羽地朝秀」の解説の一部です。
「北谷・恵祖事件」を含む「羽地朝秀」の記事については、「羽地朝秀」の概要を参照ください。

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