北谷と読谷の収容所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 06:14 UTC 版)
1945年4月1日、米軍が上陸し日本軍の北飛行場(読谷村)と中飛行場(北谷村)を占領した日から住民の収容が開始された。北谷では、米軍はいったん住民を北谷町砂辺と桑江に集めた。しかし4月7日までには閉鎖され、砂辺収容所の収容者は徒歩で中城村の島袋収容所に、また北谷収容所の収容者は宜野湾村の野嵩収容所に移動させられた。北谷村の住民はその後、島袋から宜野座村の福山へ、と転々と移動を強いられ、戦後も北谷村全域が基地として接収されたため、多くの人々が帰村することができなかった。 米軍上陸時の収容所開設関連基地砂辺収容所 北谷町砂辺 4月4日までに中城村の島袋収容所へ移動 嘉手納飛行所 北谷収容所 北谷町桑江 4月8日に宜野湾村の野嵩収容所へ移動 キャンプ桑江キャンプ瑞慶覧 楚辺収容所 読谷村 都屋、楚辺、喜名に一時的に収容 読谷補助飛行場トリイステーション
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