北西部の紛争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/16 00:25 UTC 版)
1825年、島の北西部では、ヴァン・ディーメンズ・ランド・カンパニーに雇われていた入植者とアボリジニーとの間に、アボリジニー女性への暴行や拉致、カンガルーの群れの殺戮が原因で紛争が発生した。1827年には、入植者の羊飼いがアボリジニー女性に痴漢行為を働いたため、その報復として羊飼いが槍で刺され、100頭以上の羊が殺された。これに対して入植者の一団がアボリジニのキャンプ場を夜明けに襲撃し、12人を殺害した。この争いは1828年2月10日の「グリム岬の虐殺」に発展する。マスケット銃で武装した羊飼いたちによって、崖の下で貝を採っていた30人ものアボリジニーが待ち伏せの上、殺害されたのである。 1829年8月21日、現在のバーニー近くにあるエミューベイで、4人のカンパニー社員がアボリジニー女性の背中を撃った後、斧で殺害した。この地域では暴力行為が続き、1831年7月と10月に3人の社員が槍で刺されて死亡し、羊や牛にも大きな被害が出ていた。北西部のアボリジニー氏族の人口は1820年代には700人から300人に減少し、羊飼いたちがアボリジニーを見たら撃つと誓っていた北部では、1826年には400人いた人口が1830年半ばには60人以下にまで減少した。紛争は1834年に一旦停止したが、1839年9月から1842年2月にかけて再開され、アボリジニーは少なくとも18回、カンパニーの人間や財産を襲撃した。
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