北西部条例と北西部領土
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/03/07 08:45 UTC 版)
「オハイオ州の歴史」の記事における「北西部条例と北西部領土」の解説
北西部領土のアメリカ人による入植は北西インディアン戦争で先住民族の抵抗に遭った。先住民族は1794年のフォールン・ティンバーズの戦いで結局アンソニー・ウェインに征服された。現在のオハイオ州の大半は翌年のグリーンビルの条約でアメリカ合衆国に割譲された。 アメリカ合衆国は1787年の北西部条例で北西部領土を創出した。この領土は奴隷制を合法化することが禁じられた(一旦州として成立すれば奴隷制を布くことが許されたが、実際にはそうならなかった)。中西部の州は自由州と呼ばれ、オハイオ川の南にできた奴隷州と呼ばれるようになる州とは対照をなした。北東部の州は次の2世代の間に奴隷制を廃止し、自由州は北部州とも呼ばれた北西部領土は元々オハイオ領土やイリノイ郡と呼ばれた地域を含んでおり、インディアナ準州が創られて、北西部領土はおよそ現在のオハイオ州とミシガン州ロウアー半島東半分の大きさに減らされた。
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