北西航路横断航海
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 02:59 UTC 版)
「ロアール・アムンセン」の記事における「北西航路横断航海」の解説
20世紀の初頭において、大西洋側から太平洋側へアメリカの北を回って航海する「北西航路」は、欧亜間の最短航路になりうると考えられていた。16世紀以来ヨーロッパの多くの航海者が挑戦してきたが氷に阻まれ誰も成功せず、19世紀に入ってもイギリスのジョン・フランクリン率いるイギリス海軍の艦隊がカナダ北方で全滅するなど多くの犠牲者を出してきた。フランクリン探検隊の失踪と全滅はアムンセンに大きな印象を与え、北西航路横断に挑みたいという願いが高まった。1903年、アムンセンは借り入れにより探検費用を整え、装備と船を差し押さえようとする債権者から逃げるようにして、乗員6名とともに47トンの鋼製機帆漁船ヨーア号(Gjøa)で大西洋から北西航路へ入った。 彼はバフィン湾・ランカスター海峡・ジェイムズロス海峡・レイ海峡(Rae Strait)と、東から西へ向かう航路を選んだ。キングウィリアム島とブーシア半島の間のレイ海峡は新しい氷が多く比較的航行可能で、この選択が成功のもとになった。ただし水深がわずか1mと非常に浅い部分があり、ヨーア号だから航行できたものの、それより大型になる商船の通過は不可能な航路であった。 キングウィリアム島近く(現在のヌナブト準州グジョア・ヘイヴン Gjoa Haven)で2回越冬したアムンセンはイヌイットから、犬ぞりの使い方や獣皮の着方など寒帯で生き残る術を学び、これが後の南極などの探検に生きた。1905年夏に越冬地を発してビクトリア島の南を航海し1905年8月17日にカナダ北極諸島を抜けボーフォート海へ出ることに成功したが、アラスカ沖で流氷に閉ざされ3度目の冬を越すことになる。彼は氷の上を800km歩いてアラスカ州イーグルに向かい、北西航路横断の電報を打って船に帰った。次の夏、氷を脱出したヨーア号はベーリング海峡を通過し、アラスカ太平洋岸のノームに入港した。こうしてアムンセンは史上はじめて北西航路の横断航海に成功した。 イギリスの王立地理学会は、1907年に、北西航路横断と磁北極地域の探険の業績に対し、アムンセンに金メダルを授与した。
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