北米・太平洋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 05:42 UTC 版)
詳細は「ロシアによるアメリカ大陸の植民地化」、「ロシア領アメリカ」、および「アラスカ購入」を参照 1741年、ベーリングの探検隊がヨーロッパ人として初めてアラスカに到達した。1787年にコディアック島に最初のロシア人入植地が築かれた。1799年に北米植民地経営と北太平洋貿易を目的とした国策会社露米会社が設立され、この地域での毛皮採取と鉱物開発の独占権が与えられた。先住民との戦闘(シトカの戦い)に勝利したロシア人は1804年にシトカの入植地を建設し、アラスカ経営の拠点はコディアック島からここに移された。北米大陸における境界は1824年と1825年に米英と取り決められている。露米会社はカリフォルニアにまで進出しており、サンフランシスコ北方のソノマ郡にロス砦(英語版)居住地を築き、1841年まで維持していた。 露米会社は順調に利益を上げていたが、中央政府はイギリスからの攻撃に対するアラスカ防衛の困難さを危惧し始めており、1867年にロシア領アメリカをアメリカ合衆国に売却した。売却時のアラスカの人口は約3万人で3分の2がエスキモーとインディアンであった。 1815年、ロシアの企業家シェッファー(英語版)博士はカウアイ島に渡航し、島の首長カウムアリイ(英語版)(ハワイ王カメハメハ1世の臣下)と保護条約を締結したが、ロシア皇帝は批准を拒否している。ハワイにはエリザベス要塞を含む居住地が築かれ、1853年まで維持されている。
※この「北米・太平洋」の解説は、「ロシア帝国の歴史」の解説の一部です。
「北米・太平洋」を含む「ロシア帝国の歴史」の記事については、「ロシア帝国の歴史」の概要を参照ください。
- 北米太平洋のページへのリンク