勢力範囲・建築・美術的特徴等
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/05 01:26 UTC 版)
「ドヴァーラヴァティー王国」の記事における「勢力範囲・建築・美術的特徴等」の解説
ドヴァーラヴァティーの勢力はタイの東北部にまで及んでいたと思われ、メコン川支流のチー川、ムーン川流域にも、環濠集落や製塩、製鉄遺跡がみられる。またこの地域では、建物の四隅に建てられる結界石が見られ、釈迦の前世についての説話である本生譚の一部を題材としたレリーフが刻まれたり、サンスクリット語、パーリ語、モン語の銘文が刻まれたものも見られる。これらの銘文は、文字形態の編年研究から8世紀中葉から11世紀ごろに刻まれたと考えられている。これについては、ドヴァーラヴァティーの勢力範囲がもともとタイ東北部まで及んでいたのか勢力が拡張したのかという検証がクメール王国との関連でなされる必要があるように思われる。 全般的に環濠集落及びその大規模なものである都市の周辺やその内部には、仏像を安置した煉瓦造りの寺院やラテライト製の仏塔が建てられ、仏陀の姿や建物の壁面レリーフの特徴から主として上座部仏教が信仰されていた。ドヴァーラヴァティー時代の建物では、縦30cm強、横16cmから19cm、厚さ6cmから9cmのものと、縦45~47cm、横22cmから24cm、厚さ10cm弱の二種類の煉瓦が用いられ、ミャンマーのピュー文化の建物の煉瓦と規格が酷似し、小さめのタイプが用いられることも共通している。ただし、スコータイ王朝時代、アユタヤ朝時代の建物の煉瓦に比べると、大きいため容易に区別ができる。仏像の様式もインドのグプタ朝時代のサールナート様式の影響を色濃く反映し、衣に襞がなく薄く見せることに特徴がある。また、チャオプラヤー川流域の遺跡では、結界石は見られないが石の法輪が見られ、6世紀から10世紀頃に刻まれたと考えられるサンスクリット語、パーリ語、モン語の銘文もみられる。
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