創立者・根津嘉一郎と武蔵高校
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「武蔵高等学校 (旧制)」の記事における「創立者・根津嘉一郎と武蔵高校」の解説
根津嘉一郎は根津育英会の初代理事長として設立後も学校経営に関わり続けた。1922年の第一回入学式での式辞で最初の尋常科生徒に対し、将来への期待と勉学の心構えについて語っている。また、開校後ほどない同年11月、通学生の最寄り駅として、現在の西武鉄道池袋線の前身である武蔵野鉄道の停留場(現在の江古田駅)が早々と開設されたのは、根津が武蔵野鉄道の株主であったことと関わりがあったといわれる。彼はその後も武高に対して私財を投じて財政的支援を続け、1937年7月落成の青山寮の建設に際しては軽井沢の私有地を提供した。 1936年、根津の喜寿祝賀行事が学校によって計画されると、根津はこれを固辞したが、父兄会・同窓会が企画した研究所の設立についてはこれを受け入れ、同年6月、根津の名を冠した研究所(根津化学研究所)が寄贈されると、根津は直ちにこれを武蔵高校に移管し、さらに運営費用を供出した(後出)。その3年あまりのちの1940年1月、根津が外遊中に罹患した感冒が悪化して肺炎で急死すると、同月、築地本願寺で学校葬が執り行われた。 教育事業に対する根津の関与は武高に止まらず、1924年設立の山梨高等工業学校(山梨大学工学部の前身校)、同じく(県立)山梨女子師範学校(同・教育人間科学部)および併設の県立山梨高等女学校(山梨県立山梨高等学校)など、山梨県での学校に対しても敷地あるいは校地購入資金を寄付している。 根津を記念する校内の施設としては、1936年、3月の卒業式に際して除幕され、講堂(現在の大講堂)玄関に設置された大理石の「創立者根津翁寿像」や、同年、濯川の出橋・入橋付近に設けられた喜寿島、さらに死後、2012年の武蔵学園創立90年記念事業の一環として造営され、大講堂正面玄関左側に設置された「第一回入学式における根津嘉一郎理事長祝辞記念碑」などがある。
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