前橋市、前橋広域圏との合併協議経緯とは? わかりやすく解説

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前橋市、前橋広域圏との合併協議経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/19 21:45 UTC 版)

富士見村 (群馬県)」の記事における「前橋市、前橋広域圏との合併協議経緯」の解説

2001年夏に新潟県にて行われた前橋広域圏5市町村前橋市大胡町宮城村粕川村富士見村)の首長による会合いわゆる弥彦会談」)にて「合併特例法期限内に熟度高まった所から順次合併」という方針出され富士見村を含む前橋地域合併動き出した弥彦会談では、実質的には4町村が「前橋市編入ということ大筋合意していたが、富士見村議会から待ったがかかる形となり、2002年前橋広域圏任意合併協議会開催される参加しなかった。当時関口村長議会圧力もあり自立表明このため村長住民によるリコール失職する。 このリコールにより村民から「前橋市との合併」という民意意思表示成されたにもかかわらずその後就任した星野村長は当初中立」というスタンス取り再度住民投票という形で民意を問うこととなった結果合併賛成63%となり、ここでようやく前橋市との1市1法定合併協議会設置する。他の町村との合併協議会に加わらなかったのは、この時点ではまだ議会合併難色示し先行き不透明で、他の町村に迷惑をかけないためである。 前橋市大胡宮城粕川の各町村合併協議順調に進み2003年秋に合併調印。この1町22004年12月5日前橋市編入された。そして、前橋富士見合併協議2004年夏に「2005年5月1日前橋市編入合併」で決着調印された。しかし、その後富士見村議会民意無視して合併反対2度出され合併議案を共に否決し星野村長は「自立」を表明した合併破談後、前橋広域圏行政消滅に伴い消防など一部行政前橋市事務委託ようとした前橋市一方的な合併破棄理由難色示し結局県などの仲裁により委託取り付けたその後合併協議会解散し合併調印取り消された。 これらにより富士見村民は、広域圏行政下で優遇されていた前橋市斎場利用料市立工科大学入学料はじめとする優遇措置廃止され前橋市立図書館利用市内通勤通学する村民以外は原則不可とされた。 また10年間の投資事業費合併時の70億円に対して合併しない場合130億円見込める事が自立論拠一つとされたが、実際に2005年度投資経費計画半額であり、議会紛糾した。 しかし、2007年4月村長選で合併推進派の福島節夫が当選村議選でも合併推進派の勢力拡大した事から、前橋市との合併弾みがつき、2008年1月15日合併協議会設置され、「2009年5月5日前橋市編入合併」で決着付けた

※この「前橋市、前橋広域圏との合併協議経緯」の解説は、「富士見村 (群馬県)」の解説の一部です。
「前橋市、前橋広域圏との合併協議経緯」を含む「富士見村 (群馬県)」の記事については、「富士見村 (群馬県)」の概要を参照ください。

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