対敵協力
利敵協力
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/02/25 06:29 UTC 版)
「ダグラス・バーナヴィル=クレイ」の記事における「利敵協力」の解説
1944年、オフラグ79収容者の間で内通者の存在が疑われ始め、彼らは最終的にクレイこそが内通者であると判断した。1944年12月、オフラグ79がファリングボステル(英語版)に移動した後、収容者の将校団が収容所所長に対してクレイを裁くための軍法会議の設置を申し出たが、クレイは身の安全のためにドイツ兵の手で他の収容所へと移された。 クレイのその後の動向については不透明な点が多い。ファリングボステルやハノーファーでは、平服姿でうろつくクレイの姿が捕虜らによって目撃されている。次に彼の姿が確認されたのは、1945年3月初頭になってからだった。SS大尉に扮していたクレイが、テンプリン(英語版)近くで第3SS装甲軍団(ドイツ語版)の幕僚の1人に任命されたのである。クレイは幕僚として第3装甲軍団司令官フェリックス・シュタイナーSS大将から夕食に誘われた際、自らがコールドストリームガーズの大尉であること、イギリスの貴族(Peerage)たる「チャールズワース卿」の称号を持つことなどを主張し、さらに自分は反共主義者であるから欧州を共産主義から守る戦いに参加したいと語った。シュタイナーはクレイの主張するところを信じていたとされる。 シュタイナーは付近に展開していたイギリス自由軍団(BFC)にクレイを送った。1945年4月19日、SS戦車兵用の黒服にBFCの記章とSS大尉の階級章を付けたクレイがテンプリンのBFC陣地に到着した。彼はBFCの隊員らに対して、自分は伯爵の息子にしてコールドストリームガーズの大尉であり、これから2両の装甲車を用いてロシア人との戦いを指揮すると語った。また、イギリスが近いうちにロシアと開戦するだろうからBFC隊員であることがイギリス本国との間で問題になることはないと保証したという。しかし、BFC隊員らが彼に従うことを拒否した為、クレイは隊員の1人であったアレクサンダー・マキノン(Alexander MacKinnon)を運転手として連れて、自動車を盗み西側へと脱走した。ドイツの制服を脱ぎ捨てた彼は、シュヴェリーンから西に少し離れた場所でイギリス軍空挺隊員らに投降した。 その後、クレイは利敵行為に対する責任追及から逃れようと試みた。クレイはオフラグ79での内通者として働いたという疑惑にも、また彼が武装親衛隊に志願したという証言についても一切の証拠はないと主張した。クレイは自分が自力でオフラグ79から脱走し、SSの制服は潜伏を目的にドイツ人女性から入手したのだと主張した。また、BFC隊員らの証言については信憑性が薄いとして法廷では扱われなかった。
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