初期の文筆活動とは? わかりやすく解説

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初期の文筆活動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 06:13 UTC 版)

森鷗外」の記事における「初期の文筆活動」の解説

1889年明治22年1月3日、『読売新聞』の付録に「小説論」を発表し、さらに同日の『読売新聞』から、弟の三木竹二とともにカルデロン戯曲「調高矣津弦一曲」(原題:サラメヤの村長)を共訳し随時発表した。その翻訳戯曲高く評価したのが徳富蘇峰であり、8月蘇峰主筆務め民友社雑誌国民之友夏期文芸付録に、訳詩集於母影」(署名「S・S・S」新声社略記))を発表した。その「於母影」は、日本近代詩形成などに大きな影響与えた。また「於母影」の原稿料50円元手に、竹二など同人たちと日本最初評論中心専門誌しがらみ草紙』を創刊した(1889年10月-1894年8月日清戦争勃発により59号で廃刊)。 このように外国文学などの翻訳手始めに(「即興詩人」「ファウスト」などが有名)熱心に評論的啓蒙活動続けた当時情報乏し欧州ドイツ舞台にした「舞姫」を蘇峰依頼により『国民之友1890年1月発表した続いてうたかたの記」(『しがらみ草紙1890年8月)、1891年1月28日「文づかひ」(「新著百種12号)を相次いで発表したが、とりわけ日本人外国人恋愛関係になる「舞姫」は、読者驚かせとされる。そのドイツ三部作めぐって石橋忍月論争を、また『しがらみ草紙上で坪内逍遥記実主義批判して没理想論争繰り広げた1889年明治22年)に東京美術学校(現・東京藝術大学)の美術解剖学講師を、1890年9月から約2年東京専門学校の科外講師を、1892年明治25年9月慶應義塾大学審美学美学旧称講師委嘱された(いずれも日清戦争出征時と小倉転勤時に解嘱)。

※この「初期の文筆活動」の解説は、「森鷗外」の解説の一部です。
「初期の文筆活動」を含む「森鷗外」の記事については、「森鷗外」の概要を参照ください。

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