初期のバンド活動
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デビューは1972年8月。しかしオリジナルメンバー4人は、1960年代から音楽業界で活動を行っていた。ロル・クレームとケヴィン・ゴドレイはお互いを知っていた。彼らは英国のユダヤ人コミュニティで、音楽活動をしたりしていた。 エリック・スチュワートはいくつかのバンドを経て、1963年6月にウェイン・フォンタナ&ザ・マインドベンダーズのギタリストとしてレコード・デビュー。1964年6月、グレアム・グールドマンは自身のバンドThe Whirlwindsのレコード・デビューに際して、B面曲としてザ・セイバーズ・The Sabresにいた友人のロル・クレームの曲を採用するが、ヒットせずにバンドは解散。グレアムはセイバーズからドラマーのケヴィン・ゴドレイを引き抜いて新バンド、ザ・モッキンバーズを結成、1965年2月に改めてレコードデビューした。デビュー曲としてグレアムは「フォー・ユア・ラブ」を作曲するがレコード会社に拒否され、代わりに「That's How (It's Gonna Stay)」をレコーディングする。「フォー・ユア・ラブ」はその後ヤードバーズがレコード化、全英3位の大ヒットとなる。同曲はアメリカでもヒットしている。一方モッキンバーズのレコードは不発に終わり、その後レコード会社を移籍しつつ5枚のシングルを発表したもののヒットを生み出せずに解散。 グレアム・グールドマンは66年、ホリーズに名曲「バスストップ」を提供し、人気作曲家となった。彼はハーマンズ・ハーミッツにも曲を提供している。またピーター・カワップやジョン・ポール・ジョーンズたちとのバンド活動を経て、1968年7月には自作曲のセルフカバーアルバム『ザ・グレアム・グールドマン・シング』を発表している。モッキンバーズ解散後ケヴィンは再びロルとコンビを結成、組み立て絵本などのデザイナーで生計を立てる一方、グレアムのマネージメントで1967年、”Yellow Bellow Room Boom”名義でシングル「Seeing Things Green」を発表している。ウェイン・フォンタナ&ザ・マインドベンダーズは1965年1月の6thシングル「ゲーム・オブ・ラブ」が全英2位/全米1位の大ヒットを記録した。その後低迷しリーダーでボーカルのウェインがソロ・アーティストとして独立する。残ったバンドメンバーはエリックをボーカルに据えザ・マインドベンダーズとして再出発を図る。1965年12月に発売された1stシングル「恋はごきげん」は全英2位全米2位の大ヒット、その後「Ashes To Ashes」もヒットするなど順調な活動が続く。1967年にはシドニー・ポワチエ主演の映画『いつも心に太陽を』に曲を提供、バンド自身もゲスト出演している。1967年11月のシングル「Schoolgirl」はグレアムの作曲・プロデュース。このレコーディングでエリックと意気投合したグレアムは、後に脱退したベースの代わりにバンドに正式参加しシングル「Uncle Joe The Ice Cream Man」ではリードボーカルをとっている。バンドはこのシングルを最後に解散、エリックはグレアムを誘い、ストロベリー・スタジオの共同出資者となる。グレアムはロルとケヴィンをスタジオミュージシャンとして誘い、やがてエリック、グレアム、ロル、ケヴィンの4人でバンド活動を開始する。
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