出雲井堰
井之口円形分水 | 疏水の概要 | |||||
■疏水の所在 米原市伊吹から米原市の一部と長浜市・浅井町の900haを潤します。 ■所在地域の概要 米原市は滋賀県東北部地域の中心に位置し、面積は205.06km2で、県土全体の5.1%を占めています。 日本百名山のひとつである伊吹山とその南には霊仙山がそびえ、総面積の約7割を占める森林にたくわえられた水は、清流姉川や天野川となって地域を流れ、母なる琵琶湖に注ぐという、水と緑に包まれた自然豊かな地域です。 ■疏水の概要・特徴 この出雲井の建設には二つの説があります。 ひとつは白雉元年(六五〇年)に出雲国出身の大助が原野を開拓し、姉川に井堰を作り、さらに水溝を堀り潅漑したことが始まりで、出雲井の名を付けたとあります。 もうひとつは宝治二年(一二四八年)あたりに作られたという説です。 1248年に佐々木重綱(バサラ大名佐々木道誉の四代前)が、執権北条義時より大原郷の地頭職に任命されました。重綱は拠点である大原城の堀に水を引くことを考えました。この時、伊冨貴村(米原市伊吹)の出雲善兵衛が、姉川の川筋を見立てて井堰を作ることを提案しました。重綱は出雲善兵衛に井堰を作ることを命じ、長さ約180m、巾5m、高さ1.8mの堰を大石で積み上げて井堰を完成させました。これ以後、出雲善兵衛の功績をたたえて、出雲井と名付けたものとも言われています。 こうした歴史ある出雲井も昭和二五年九月、日本全土を襲ったジェーン台風により、琵琶湖に押し流されました。これを機に近代的な井堰建設計画が持ち上がり、昭和26年から着工され、昭和28年には、この出雲井には九千万円の予算を投じて姉川合同井堰が完成しました。ようやく、旧伊吹村・旧大原村・長浜市の積年の対立が解消し、900haの水田は公平に姉川の恩恵にうることが出来るようになりました。 | ||||||
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