初瀬疏水
![]() 渦河原頭首工 |
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疏水の概要 | ||
■疏水の所在 大分市中心部から西方、大分川左岸に開けた沖積平野に位置する 受益面積 261ha ■所在地域の概要 県都大分市は、東九州の中核都市として人口48万人を擁する。新産業都市としても大分県を始め九州地域の発展に寄与している。 本疏水は、大分市の西部に位置し下流は市街化区域内を流下する。 ■疏水の概要・特徴 初瀬疏水は、大分県でも古い歴史をもち、干ばつに辛苦する民を哀れみ、時の城主が開削した疏水である。現在の疏水は、3回に渡って開削されている。その第一は、「国井出」として天正11年(1583)大友義統公により大分市宮苑より大分市大字生石までの間、約13kmが開かれた。第二は、「初瀬川」として慶安3年(1650)日根野吉明公により庄内町大字櫟木より大分市東院までの間、約16kmが開削された。第三は、「新井路」として元禄7年(1694)松平昭重公により挾間町大字向野原より東院までの間、約7kmが開削された。この3つの水路を併せて初瀬疏水と呼ぶようになった。当時は、土木機械もなく、人力により頭首工・隧道・水路が建設され、それまで干 ばつに苦しんでいた民は、満々と流れる疏水を見て大いに喜んだと記されている。この疏水の完成により最も恩恵を受けている農業・農村はもちろん大分市も昭和38年新産業都市に指定され、工業化が進み、商業が盛んになり人口も増え急激に発展してきた。この発展の影には、市民生活に最も必要な家庭排水の受け皿となるなど多目的に利用されてきた本疏水の貢献が大きい。 |
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