出生から大学まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 09:55 UTC 版)
代々木西原生まれ。ラジオで育ち、夕食後の家族団欒は六畳の居間にラジオを囲んで、落語やクイズをよく聴いて、落語は覚えてしまうくらいだったという。学校放送では春・夏・冬休みのほうが大好きであり、中でも『マイクさんこんにちは』が大好きだった。『笛吹童子』に『ヤン坊ニン坊トン坊』での黒柳徹子の小猿のトン坊はかわいかったと評価していた。山田にとってラジオとは「想像の世界をよりかき立ててくれる最高の玉手箱だった。」という。ステレオ実験放送では、兄弟先を争って中心の位置を取り合ったが、これがステレオ立体音なのか!?よくわからなかったという。『こども音楽コンクール』に出場した事があり、放送当日は家族が顔をつきあわせて聴いたという。主催は後に入社するTBSであったが、この局に入社するとは思わなかったが、いつも家族の真ん中にラジオがあった時代は決して派手ではないが実のある平穏でいい時代だったような気がすると振り返っている。小学校高学年の頃には、テレビが話題になってきたときに好きだった番組は『デン助劇場』『ひょっこりひょうたん島』『シャボン玉ホリデー』『ピンク・ムード・ショー』。『デン助劇場』では大宮デン助の気っぷが良くて人情家、早とちりでいつも大混乱、ハゲ頭にドロボーひげ、いつも首を振っているところが大好きとなりサインまでもらったことがある。山田にとってテレビとは「娯楽を与えてくれる最高の玉手箱」だったという。大病により小学校6年生の2・3学期を全休する。 渋谷区立代々木中学校ではブラスバンド部所属、トランペットを担当。 浪人中に見た東京オリンピック開会式の生中継を機に、テレビ最全盛の世の中となってきて、娯楽、文化、スポーツ、政治、すべてはテレビなしでは語れなくなってきて、頭の中の一部になり、幼少の頃からラジオやテレビが大好きだったため小学校の時に好きだった学校放送もいい、『シャボン玉ホリデー』みたいな楽しいものもいいと、就職先を放送局に選択する。
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