出生から右左口村時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 00:49 UTC 版)
山梨県東八代郡右左口村(現・甲府市右左口町)に生まれる。父は龍吉、母は「ひさの」。方代は八人兄弟の末子で、次男。1920年(大正9年)5月には姉の「くま」が結婚し、姉は神奈川県横浜市へ移る。1921年(大正10年)4月、方代は右左口尋常高等小学校(現・甲府市立中道南小学校)へ入学する。卒業後は実家の桑畑や山仕事を手伝う。 1929年(昭和4年)3月、方代は小学校を卒業する。右左口村では1927年(昭和2年)に田中睦男が中心となり歌会「地上」が発足し、方代は1932年(昭和7年)に最年少で入会する。1934年(昭和9年)には『山梨日日新聞』新年文芸において佳作に入選する。方代はこの頃、「山崎一輪」の筆名で右左口青年団雄弁部文芸部季刊誌『ふたば』や『山梨日日新聞』『峡中日報』などに投稿する。同年には徴兵検査において甲種合格するが、この頃には両親が眼病を患っていたため、兵役免除となる。 1935年(昭和10年)には田中達馬の紹介で「あしかび」に入会する。1936年(昭和11年)には「あしかび」をはじめ「水甕」や山下陸奥の主催する「一路」などの結社誌に詩や短歌を発表している。同年11月5日には三枝常盤邸で開催された一路山梨支部創立歌会に参加している。同年には右左口村青年団文芸部長となり、『ふたば』の編纂にも関わっている。
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