山下陸奥とは? わかりやすく解説

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山下陸奥

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/27 00:08 UTC 版)

山下 陸奥(やました むつ、1895年(明治28年)12月24日 - 1967年(昭和42年)8月29日)は、日本の歌人

経歴

広島県尾道市千光寺通りに生まれる。

尾道市立土堂小学校、広島県第一中学校(現広島県立広島国泰寺高校)を経て、東京高等商業学校(現一橋大学)中退。住友合資に入社し、愛媛県新居浜住友工業所に勤務。上司の川田順の勧めで佐佐木信綱の竹柏会に入り、新井洸、木下利玄に私淑。のち上京して信綱、石槫千亦を助けて「心の花」の編集を担当。信綱、久松潜一から国文学を学ぶ。

1930年(昭和5年)、歌誌「一路」を創刊、主宰した。「一路」には岡部桂一郎山崎方代、塩野崎宏、角宮悦子などが参加したが、戦後に多く離反していった。門下の一人には相田みつをもいた。「一路」では1947年(昭和22年)から1948年(昭和23年)にかけて短歌の英訳という先進的な試みが行われていた。1935年(昭和10年)に信綱との齟齬から「心の花」を離脱したが、その26年後に川田、安藤寛を介して和解し、師弟関係を復活させた。

1966年(昭和41年)、1967年(昭和42年)、歌会始選者。1967年(昭和42年)8月29日午前7時45分、入院していた慶應義塾大学病院で血液障害のため死去した[1]。故郷尾道市の天寧寺に眠る。

著書

  • 『春 歌集』竹柏会(心の華叢書)1931
  • 『作歌随想』竹柏会出版部 1932年
  • 『霊鳥 歌集』一路会(一路叢書)1937
  • 『短歌の表現と技巧』人文書院(一路叢書)1938
  • 『短歌の探求』人文書院(一路叢書)1941
  • 『平雪』人文書院(一路叢書)1944
  • 『純林 歌集』人文書院(一路叢書)1948 のち短歌新聞社文庫(1997年)
  • 『冬霞 歌集』白玉書房(一路叢書)1952
  • 『山下陸奥作品集』白玉書房(一路叢書)1953
  • 『山下陸奥歌集』日本文芸社(日本文芸叢書)1959
  • 『短歌試論190』短歌新聞社 1965年

関連文献

脚注

  1. ^ 北海道新聞 昭和42年(1967年)8月30日 水曜日 16版 15面




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