出生から女優修行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 07:43 UTC 版)
1885年、東京市牛込区の市ヶ谷で、東京帝国大学出の鉱物学者の父、三田守一と、元芸者の母小松との間の長女、千枝として生まれる。愛日小学校から華族女学校(のちの女子学習院)へ進学。在学中に早稲田大学の学生、上山草人と知り合う。170cm近い大柄の美人だった。 1908年、草人との間に長男平八を出産し、母に預ける。同年草人と正式に結婚し、草人は三田家の婿養子になる。坪内逍遥が設立した文芸協会に参加した草人を助けるために、浦路も入会し、女優修業を始める。華族女学校の校長、乃木希典から「卒業生が河原乞食の真似をするとは何事か」と批判されたが、新聞記者が坪内逍遥の指導であることを説明して納得させた(除名されたとの説も)。浦路はピアノも声楽も観世流の謡曲もでき、自宅で琴を教えて家計を助けた。
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