出生から姉と祖母の死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 02:50 UTC 版)
1933年(昭和8年)、現在の兵庫県神戸市に生まれる。1944年(昭和19年)、小学6年生の時に空襲を避け、神戸市内から集団学童疎開で、岡山県総社市にある、東福寺派の宝福寺へ行き、そこで福島慶道は最初の師匠である岡田熙道に会う。その後神戸市に戻り、焼け野原になっていた神戸で、親代わりをしていてくれた祖母と一緒に暮らす。祖母は昔の女学校を出た人であって、厳格で教育熱心であった。敗戦も間近い1945年(昭和20年)6月5日の大空襲で生家は焼失する。3歳年上の姉は病気の身体で無理をして空襲から逃げたのがたたり病死した。慶道はその時12歳で旧制中学にあがったばかりであったが、戦災で休校となり、疎開した熙道のいる宝福寺にいたので、その姉の死に目にあえなかった。姉の死から僅か1年後、1946年(昭和21年)4月3日には祖母を亡くした。当時流行していた発疹チフスに、祖母と慶道が同時に感染し、二つ並んだ蒲団で医者の診察を受けている時に、祖母が急に亡くなってしまったのである。
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