出生から学校卒業まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 08:56 UTC 版)
父悦太郎、母いと、七人兄弟の次男として生まれ、幼名を真一といった。高等小学校を卒業する前年、1905年(明治38年)に愛知県稲沢市の国分寺、服部全冷和尚につき出家得度。1908年(明治41年)京都に行き、叔父倉地円照師が住職をしていた北野萬松寺に入る。翌年春、禅門高等学院(花園大学の前身)に入学し、1914年(大正3年)卒業後は師匠の反対を押し切って関西学院高等部英文科に進学した。しかし僅か半年で胸を患い退学することとなり、南紀白浜で療養することとなった。そして約一年半後、病気がほぼ治ったので帰洛(柴山全慶老師 略年譜 p.9)。
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