出生から妙心寺時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 09:06 UTC 版)
1860年1月10日(旧暦 安政6年12月18日)、現在の福井県大飯郡高浜町の農家に生まれた。一瀬吾右衛門の二男で、幼名は常次郎。幼児から峻烈豪放で、人に下るということを好まなかった。 1870年、10歳(数え年で12歳)の時、一瀬家の親戚筋に当たり福井県出身である京都妙心寺天授院の越渓守謙が帰郷し、越渓の母九十二歳の祝いを終えて京都に帰る際、長男の勧めにより、常次郎は僧侶になるべく越渓守謙に預けられた。 常次郎は越渓守謙のもとで得度した。越渓はその頃丁度、天授院に僧堂を開単した頃であった。妙心寺山内に「般若林」という学林ができたため、そこに通って漢籍や禅籍の素読などを学んだと伝わる。
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