内蔵助山荘
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「真砂岳 (立山連峰)」の記事における「内蔵助山荘」の解説
内蔵助山荘(くらのすけさんそう)は、真砂岳の山頂直下東北東0.4 kmの真砂尾根上にある山小屋。山小屋からは富山平野、富山湾、能登半島、後立山連峰などが見渡せ、富士山が見られることもある。収容人数は70名で、水場とテント場はない。営業期間は7月中-10月上旬で、期間外は閉鎖される。 1958年(昭和33年)に麓の立山町芦峅寺の山案内人であった佐伯利雄が山小屋の建設の許認可申請を行い、1961年(昭和36年)から歩荷により建設資材を運ぶことにより内蔵助カール内で木造2階建ての山小屋建設が始まり、1962年(昭和37年)に開業した。1965年(昭和40年)春に雪崩により屋根を引き剥がされる被害を受け、その対策として山荘の周りに石垣が設けられた。ところが豪雪であった1969年(昭和44年)に雪崩により山小屋が全壊する被害を受けた。このため1971年(昭和46年)夏に現在の位置の標高約2,780 mの山頂直下の稜線上に、新しい山小屋(木造2階建て、延べ128坪、15部屋)がヘリコプターで建設資材を運ぶことにより再建された。1989年(平成元年)10月9日午前中に、管理人が立山中高年大量遭難事故の倒れている登山者8人を発見した。
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