兵站計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 03:52 UTC 版)
ロシアへの侵攻作戦が決まった時、戦場となる広大な領域での補給路確保が重要な問題だった。過去の戦争に比べて戦場となるロシアは広大であり、ドイツの補給ラインに対するロシア側の脅威が予想された。ドイツ軍は後方補給線保護に苦心した。アクティブとパッシブの後方警備対策が区別され、状況に応じた警備用の特殊部隊が複数設立された。一方で警備隊は予備役や退役兵など主に高齢者から構成され最低限の訓練しか受けていなかった。武器の補充も不十分で赤軍から鹵獲したロシア製の武器を利用していた。ドイツ軍の兵站業務は陸軍参謀本部の兵站総監部が統括していたが、バルバロッサ作戦では広大なロシアの領域をカバーするため各軍集団に現地事務所が設置され補給を担当した。しかしソ連の広大な領土で整備された街道はミンスク~スモレンスク~モスクワ間の一本しかなく、機甲部隊の通行に適さないデコボコの悪路が果てしなく続いていた。また雨が降ると地面は泥濘化し、雨季のまともな作戦行動は困難だった。侵攻開始から一か月で輸送用トラックの3割が故障し、機甲部隊の戦車も稼働率が激減した。ドイツ軍は道路の不整備を鉄道輸送で補おうと試みたがロシアとドイツでは軌間が異なり(ドイツは標準軌なのに対して、ロシアは広軌だった)、軌間変換作業に追われた。鉄道工作部隊が編制されたが補給路への負担は改善されず物資の積み替え駅では深刻な渋滞が発生した。7月31日時点でドイツ軍は東部の戦闘で21万3301人を喪失していたが補充されたのは4万7000人に過ぎなかった。鉄道網と道路の不備は前線に深刻な物資の欠乏を生じさせていた。また兵站の優先順位が曖昧であり、運行優先権をめぐって現地部隊が対立、酷い時は部隊間で物資を積み込んだ列車のハイジャックが行われた。
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