兵庫北関入船納帳
主名称: | 兵庫北関入船納帳 |
指定番号: | 673 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 2008.07.10(平成20.07.10) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 古文書 |
ト書: | |
員数: | 1帖 |
時代区分: | 室町時代 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 東大寺領兵庫北関(神戸市)に入船した船舶に課された通行税の収納帳簿。文安2年(1445)のほぼ1年間にわたり、日々に入港した船一艘毎に船籍地、積荷の種類と数量、関税額と納入日、船頭名、問丸名が記載されている。瀬戸内海各地から京都方面に向けて輸送された塩・材木・米などの物資の流通状況が具体的に知られる。中世瀬戸内海水運の実態を分析する上で不可欠な記録で、室町時代の社会経済史研究の基本史料である。 |
古文書: | 光格天皇宸翰徽号勅書 光格天皇宸翰神変大菩薩号勅書 八坂神社文書 兵庫北関入船納帳 兵範記 円仁入唐求法目録 円仁入唐請来書目録 |
兵庫北関入船納帳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/31 08:58 UTC 版)
兵庫北関入船納帳(ひょうごきたせきいりふねのうちょう)は、室町時代に摂津国に存在していた兵庫北関の文安2年(1445年)1月から翌年1月までの1年余りの入船及び関銭賦課の記録である。
兵庫関は瀬戸内海を経由して京都方面に向かう船舶に対して関銭を徴収した。兵庫関は東大寺が支配する北関と興福寺が支配する南関に分かれており、兵庫北関入船納帳はこのうちの北関に関する記録である。北関では米に対しては積載重量の1%を「升米」、旅客や薪炭に対しては1隻あたり45文を「置石」と呼ばれる関銭を賦課し、そこから東大寺伽藍の修繕費用を捻出した。従来は東大寺外の人々が徴税を担当していたが、文安元年11月に東大寺の油倉玉叡による直務が行われ、升米と置石の納帳が東大寺に伝えられていたが、後に升米納帳は寺外に流出した。
戦後になって歴史学者の林屋辰三郎が自己の収集した古文献(燈心文庫)の中に文安2年3月から翌年1月までの升米納帳があるのを発見し、更に東京大学文学部に文安2年の1・2月分の升米納帳が、東大寺図書館に両期間にわたる置石納帳が存在することが確認された。林屋によるこれら3種の補修・翻刻作業を経て、1981年にその内容が公開された。
上から船籍地・積載品目及び数量・関料(関銭)及び納入日・船頭・船主(問丸・荷受人など)の順番に記載されている。1年間に1903隻が兵庫北関を通過し、うち100石以下の小型船が半数を占め、一方で1000石以上の大型船も4隻確認できる。
記載された積荷は主として塩(年間100,659石)・米(同24,880石)・木材 (同24,880石)などがあるが、他にも海産物や油、瀬戸内海沿岸を中心とした西国諸国の特産品の積載記録が載せられており、室町時代の流通の実態を示す貴重な資料となっている。このため、この納帳をテーマとした研究論文もいくつも出されており、今上天皇徳仁も親王時代に「兵庫北関入船納帳の一考察」(『交通史研究』第8号、1982年、交通史研究会)などを発表している。
参考文献
- 林屋辰三郎「兵庫北関入船納帳」『国史大辞典 11』、吉川弘文館、1990年 ISBN 978-4-642-00511-1
- 今谷明「兵庫北関入船納帳」『日本史大事典 5』、平凡社、1993年 ISBN 978-4-582-13105-5
- 鈴木敦子「兵庫北関入船納帳」『日本中世史事典』、朝倉書店 、2008年ISBN 978-4-254-53015-5
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