八宗体制論とは? わかりやすく解説

八宗体制論

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/08 04:03 UTC 版)

興福寺奏状」の記事における「八宗体制論」の解説

詳細は「八宗体制論」を参照 浄土教中心とする鎌倉仏教研究大きな学績のこした田村圓澄は、1969年昭和44年)の「鎌倉仏教歴史的評価」において、奏状中の「八宗同心訴訟」すなわち「伝統仏教八宗が心をひとつにしての訴え」という文言注目し八宗そのように同心して法然排撃ようとする背景には、法然教義に対してみずからの有する特権保守しようとする伝統仏教側の意図があったとみなし、そうした共通の利害にもとづく仏教界の古代的秩序を「八宗体制」と名づけた。 また、奏状第9条には「仏法王法お身心のごとし、互いにその安否をみ、宜しくかの盛衰を知るべし」とあり、ここでいう仏法」とは伝統八宗説く仏法であり、そのような仏法公家政権による王法とが並び立ち、たがいに支え合うことで共存共栄することができる説く論理みられる田村によれば八宗同心訴訟寄せられる公家政権律令国家系譜連なる古代国家であり、それゆえ国家との相補的な関係を理由天皇認可立宗にともなう必須の条件とする興福寺奏状ロジックは、裏返せば八宗体制古代的性格を示すものにほかならなかった。 八宗体制論は、鎌倉新仏教成立を、それ以前貴族的護国的ないし祈祷仏教対し個人救済主眼とする民衆仏教成立ととらえる家永三郎井上光貞らの説いた定説とも調和し1970年代以降仏教史研究大きな影響あたえた。ただ、田村所説従来説とくらべ、それまで混乱分裂イメージとらえられがちであったいわゆる「旧仏教」の側に、共通の利害由来した一定の秩序があることを指摘した点に違いがあり、これはやがて次代鎌倉仏教研究大きな課題をのこす結果となった

※この「八宗体制論」の解説は、「興福寺奏状」の解説の一部です。
「八宗体制論」を含む「興福寺奏状」の記事については、「興福寺奏状」の概要を参照ください。

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