光緒新政における新軍改革とは? わかりやすく解説

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光緒新政における新軍改革

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/22 16:13 UTC 版)

新軍」の記事における「光緒新政における新軍改革」の解説

1899年栄禄建議により、北洋各軍武衛軍へと再編された。武衛軍は左・右前・後・中の5軍より編成されており、新建陸軍武衛右軍へと改編同時に定員も七千人から一万人に拡充された。間もなく勃発した義和団の乱では、武衛右軍山東省に赴き鎮圧尽力する一方、他の4軍とは異なり直接列強との戦争参加しなかったためほとんど無傷であった武衛右軍はやがて武衛軍の主力となり、同年には歩兵隊騎兵隊砲兵隊二十営を拡充した。1902年直隷義和団残党鎮圧終えると、武衛右軍は「北洋常備軍」と改称された。また、同年には一軍二鎮の設置見越し北洋常備左鎮設置された。 一方それまで革新的な改革嫌っていた清朝も、義和団の乱による敗北きっかけとして様々な政治改革乗り出すうになる軍制改革もその一環で、1903年光緒29年10月には総理練兵所および督練公所各省設置して新軍訓練監督させる一方で従来清朝正規軍である「防軍」「練軍」「緑営」といった旧来の軍隊大幅に削減して残った若干名後備憲兵などに改編させた。清朝政府袁世凱管轄北洋新軍中央の軍、各省新軍地方軍とすることを意図し清朝滅亡した時点までに、全国新軍十六鎮と十六混成協(鎮・協は作戦単位設置したが、中でも袁世凱管轄する北洋六鎮直隷山東満州管轄)は錬度装備共にもっとも優れていた。また、これとは別に1909年宣統元年)、皇帝および王族警護する近衛師団にあたる「禁衛軍」を編成した禁衛軍通常の軍隊とは異なる独自の軍服採用され新軍中でもとりわけエリート部隊として認識されていた。

※この「光緒新政における新軍改革」の解説は、「新軍」の解説の一部です。
「光緒新政における新軍改革」を含む「新軍」の記事については、「新軍」の概要を参照ください。

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