先植民地時代とは? わかりやすく解説

先植民地時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/06 14:20 UTC 版)

テルナテ王国」の記事における「先植民地時代」の解説

最初、Gapi王国呼ばれていたが、後にその首都であるモルッカ諸島テルナテの名により、テルナテ王国呼ばれるようになったテルナテ近隣のティドレとともにクローブ生産独占しテルナテ王国とティドレ王国スルタンインドネシア地域全体見ても最も富裕強大な君主となった。しかし、この二つ王国反目しあい、互いの富を争いのためにいたずらに費やした19世紀オランダモルッカ諸島植民地化する以前は、テルナテ王国少なくともアンボンスラウェシパプアにまで名目的な支配及ぼしていた。 貿易拠って立ったテルナテ王国は、その結果として地域でも早くイスラム教受容された場所となった15世紀末におそらくジャワからもたらされイスラム教は、最初のうちごく少数支配層が信仰するに過ぎなかったが、徐々に民衆にまで広がっていった。王室ムスリムとなったのはMurham(在位1465年 - 1486年)の治世で、その後継者であるZainal Abidin(在位1486年1500年)はイスラム法導入し王国スルタン国へと衣替えした(しかし、日本語では特に区別することなく王国呼び続けている)。王の称号も、Kolanoからスルタンへと変えられた。 テルナテ王国勢力頂点達したのは、16世紀後半、バーブラ(Baabullah 在位1570年1583年)の治世である。この頃王国スラウェシ東部アンボンセラムティモールミンダナオ南部、そしてパプア一部にまで影響及ぼしていた。ティドレ王国との間には、周辺支配めぐって激し競争繰り広げられた。歴史学者Leonard Andayaによればテルナテ王国とティドレ王国の「二元的な競合関係は、モルッカ諸島初期の歴史を語る上で最も重要なテーマである。

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先植民地時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/25 22:23 UTC 版)

アンゴラの歴史」の記事における「先植民地時代」の解説

14世紀コンゴ人のルケニ・ルア・ニミ(英語版)が周辺諸国平定しコンゴ王国成立したコンゴ王国は現アンゴラ領内首都ンバンザ・コンゴ中心とした王権と、周辺首長連合体であり、コンゴ王国国王コンゴ王(英語版)と呼ばれ女系王族のうち戦争勝ったものが国王に即位するのが慣習であった王国内ではタカラガイ貨幣として用いられていた。

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