先植民地時代
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最初、Gapi王国と呼ばれていたが、後にその首都であるモルッカ諸島のテルナテの名により、テルナテ王国と呼ばれるようになった。テルナテは近隣のティドレとともにクローブの生産を独占し、テルナテ王国とティドレ王国のスルタンはインドネシア地域全体を見ても最も富裕で強大な君主となった。しかし、この二つの王国は反目しあい、互いの富を争いのためにいたずらに費やした。19世紀にオランダがモルッカ諸島を植民地化する以前は、テルナテ王国は少なくともアンボン、スラウェシ、パプアにまで名目的な支配を及ぼしていた。 貿易に拠って立ったテルナテ王国は、その結果として地域でも早くにイスラム教が受容された場所となった。15世紀末におそらくジャワからもたらされたイスラム教は、最初のうちごく少数の支配層が信仰するに過ぎなかったが、徐々に民衆にまで広がっていった。王室がムスリムとなったのはMurham(在位1465年 - 1486年)の治世で、その後継者であるZainal Abidin(在位1486年 – 1500年)はイスラム法を導入し、王国をスルタン国へと衣替えした(しかし、日本語では特に区別することなく王国と呼び続けている)。王の称号も、Kolanoからスルタンへと変えられた。 テルナテ王国の勢力が頂点に達したのは、16世紀後半、バーブラ(Baabullah 在位1570年 – 1583年)の治世である。この頃、王国はスラウェシ東部、アンボン、セラム、ティモール、ミンダナオ南部、そしてパプアの一部にまで影響を及ぼしていた。ティドレ王国との間には、周辺の支配をめぐって激しい競争が繰り広げられた。歴史学者のLeonard Andayaによれば、テルナテ王国とティドレ王国の「二元的な」競合関係は、モルッカ諸島の初期の歴史を語る上で最も重要なテーマである。
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先植民地時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/25 22:23 UTC 版)
14世紀にコンゴ人のルケニ・ルア・ニミ(英語版)が周辺諸国を平定し、コンゴ王国が成立した。コンゴ王国は現アンゴラ領内の首都ンバンザ・コンゴを中心とした王権と、周辺の首長の連合体であり、コンゴ王国の国王はコンゴ王(英語版)と呼ばれ、女系の王族のうち戦争で勝ったものが国王に即位するのが慣習であった。王国内ではタカラガイが貨幣として用いられていた。
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