元亀の起請文とは? わかりやすく解説

元亀の起請文

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 22:56 UTC 版)

椿井文書」の記事における「元亀の起請文」の解説

1986年藤田恒春は「(水木本)元亀の起請文」の巻頭文の署名「南龍子広雄」は文政六年(1823年)版「續浪華郷友録掲載の「南龍堂 椿井兵学古實国学 有職物産名廣雄字 慶龍山城泉何辺上狛椿井之輔」と同一人物であろう推定した。南龍子広雄によって蒐集された「(水木本)元亀の起請文」は原本であろう鑑定されている。 その巻頭文には「平群政隆」という署名落款押されていた。草津市惣社神社所蔵宝光寺縁起」には「南京興福寺官務家 永賜従五位下椿井越前権介平群政隆」「大般若由緒書」には「平群宿禰政隆」の署名があるという。 自治体史掲載地名区分によれば上狛椿井之輔」の上山城町椿井(旧椿井)ではなく山城町上狛(旧上狛村)に該当する。 「大字椿井」を中心とした一帯は北之荘、「大字上狛」の地は南之荘と呼ばれ地元文書では「北むら」「南むら」といわれていた。氏は南之荘に、椿井氏と高林氏は北之荘に、それぞれ居館かまえていたと考えられている —ふるさと椿井歴史宝暦13年(1763年)「北原村絵図」では、椿井上狛村北原村等の領地区分描かれている。ただし、椿井含めた野荘全域総称して上狛とされることもあった。 明治22年(1889年)4月1日単独新村となり、北河原村椿井神童子併合して高麗村となった1989年高島幸次は「(水木本)元亀の起請文」は起請文判者一人野村七之丞が椿井氏の出であり、南龍子広雄こと椿井之輔は故実家としてだけでなく自らの祖先への関心ゆえに蒐集したではないか推測している。

※この「元亀の起請文」の解説は、「椿井文書」の解説の一部です。
「元亀の起請文」を含む「椿井文書」の記事については、「椿井文書」の概要を参照ください。

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